July 23, 2024

政治・文化・経済の3次元

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Daniel Bell

レッテルや1次元スケールが一人歩きしている。リベラル、中道という言葉は表面的にはわからなくはないが、「中道保守」となると何のことかわからない。たとえば、中道保守と保守とはどこに違いが想定されているのだろうか。

自分のことを言うと、自分は文化的にはかなり保守的だと思うが、平和主義を放棄したり、皇国史観を復活させようとするような「極右」とは違う。政治的には、リベラルのつもり。「文化的には保守主義、政治的には自由主義」という立場が当然あり得る——社会は様々な次元から成り立っているので。

ダニエル・ベルに従えば、他に、少なくとも経済の次元がある。 ベルは、共同体の諸資源が、すべての人の「basic needs」を充足させるために使われなくてはならないと考えることにおいて社会主義者であると自認してきたという。「日本国憲法25条の規定は、国民には生存権があり、国家には生活保障の義務があることを明らかにしている」 (昭和25年10月16日社会保障制度審議会)という考え方と共通するものがある。

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July 12, 2024

支持政党別と年代別の2つのグラフ

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東京都知事選挙 2024 勝因と敗因

NHKは、7日、有権者の投票行動や政治意識を探るため、出口調査を行いました。調査は都内64の投票所で投票を終えた有権者5646人を対象に行い、62.4%にあたる3522人から回答を得ました。一方、6日までに有権者のおよそ19%が期日前投票を済ませていますが、これらの方々は調査結果に含まれていません。(NHK首都圏ナビ)

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July 01, 2024

憲法改正を唱えているグループの多くは、「保守」というよりも「極右」というべきなのではないか。

「保守—革新」というスケールが政治意識に関して今でもあるが、何を保守するのか、何を革新するのかがはっきりしていないと使えない。自民党——リベラル・デモクラティク・パーティと称されている——の場合には、戦後的なものを尊重する人はいるはずだが、戦前的なもの(皇国史観など)に回帰しようとする人が目立ってきている。日本の「宗教右派」を構成する日本会議と統一教会の影響だったのだろうか。

憲法改正を唱えているグループの多くは、「保守」というよりも「極右」というべきなのではないか。あるいは、戦後的なものを破壊しようとしているという意味では「革新」とも言えるかもしれない。さらに、「民営化」「行財政改革」「小さな政府」などを掲げる人びと が「革新」というイメージで受けとめられていることもある。大阪などで「身を切る改革」を主導する勢力が歴史的文化財の保護に冷淡であることも興味深いことである。

最近よく使われる「保守—リベラル」は、1つの次元をはかるスケールとは考えにくい。「ライト—レフト」は、表面的には、1次元的スケールのように見えるが、「政権党」の性格を明確に把握できていないと使えない。

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June 30, 2024

「門司港地域複合公共施設整備事業」に関するある表とグラフ

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「令和6年度中に建設に着手すれば、建設工事費は、122.5億円で、維持管理費が年間1.6億円の削減となる。」

参考①は、「遺構を全面保存」し、今から16年後の令和22年度頃に複合公共施設の建設に着手すればという仮定。

参考②は、「遺構の現地一部保存」をおこない今から3年後の令和9年度頃に複合公共施設の建設に着手という仮定。

複合公共施設を建設すれば維持管理費が年間1.6億円の削減になるということであるが、建設工事費の122.5億円をその額で除すると、およそ77年経たないと建設費に見合う額とはならないようだ——もちろん、既存の施設の老朽化の進行による修繕費用等の増加も考慮しなければならないが。

全面保存や一部保存をどのような形でやることを想定しているのかがこの表からだけではわからない。

門司港地域複合公共施設整備事業の今後の進め方について(北九州市、2024年5月29日)

 


公共施設を集めることで、通路が共用されるとかエアコン代が節約できるとかいうメリットを武内市長が強調していた——そのようなことが最も大事なことなのだろうか。利用者から見て、公共施設が門司港地域内に分散していること——つまり「多極分散」——のメリットはないのだろうか。 集約しない方が、特定の公共施設の利用においては便利だと思っている人はいるはずだ。いちどに複数の公共施設を利用するというケースはどの程度あるのだろうか。また、図書館などの公共施設がなくなることによって地域の雰囲気が変わってしまうこともあるのではないだろうか。

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June 19, 2024

「関心事としての社会問題」という主観主義的な発想

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6月14日のことだが、ある空港の付属施設にあった本屋でジョエル・ベスト著(赤川学 監訳)『社会問題:なぜ、どのように生じ、なくなるのか?』(筑摩選書、2020年11月)を購入した。この本は、監訳者が「構築主義アプローチの教科書」と巻末の解説で説明している。

構築主義アプローチとは、社会問題(social problems)を「客観的に定義される特徴を共有する状態」ではなく、「主観的な問題関心が生起する過程」として定義し、典型的な経路にしたがう「自然史(natural history)」であるとみなしている。

正直に言うと、小説の場合のように最初から最後まで順に読んでいく気にはなれない。拾い読みをして参考になることを見つけるつもりで読み始めた。最初の章に「基本的な社会問題過程の自然史モデル」という図が出てくる。これには、「クレイム申し立て」「メディア報道」「大衆の反応」「政策形成」「社会問題ワーク」「政策の影響」という経路が説明されている。

「クレイム申し立て」と「社会問題ワーク」以外は、扱われているであろう内容についての推測ができる。目次を見ると、第2章から第5章までと第10章のタイトルにクレイムという言葉が入っている。クレイムあるいはクレイム申し立てということが、構築主義的アプローチの重要なポイントであることがわかる。

クレイムのレトリックを分析することが取りあげられている(第2章)。「説得的な議論は前提(Grounds)、論拠(Warrants)、結論(Conclusios)という3つの基礎的な要素を持ったレトリックの構造を共有している」という観点から「社会問題のクレイム」は、それに沿って「問題の性質に関する陳述」、「行動を正当化するもの」、「どのような行動がなされるべきかの説明」から分析されるべきと主張されている。

 


「クレイムは自分の主張に真っ向から対立する対抗クレイム(counterclaims)を誘発する。」(71ページ)

「クレイムは、多くの人が理解できる言葉、概念、イメージ、感情的反応などの蓄積という社会の文化的資源を利用する」(75ページ)

「ブログやウェブサイト、電子掲示板など、インターネットに基礎を置いた新形式のメディアが現れている。これまでのところ、これらの変化はクレイムが報道されることを容易にした。しかしそれによって、より広く一般的な受け手にクレイムへの注目を集めることが容易になったわけではない。なぜなら異なるメディアがターゲットとする受け手は、小規模かつ同質的になる傾向があるためである。」(158‐159ページ)

「メディア報道が世論に影響を与えられるということが、いくつかの証拠により示されている。しかし、重要なのは、メディアの影響力を過大評価しないことである。人は、メディアのメッセージが何であろうとそのまま鵜呑みするような受動的な存在ではない。おそらくメディアは、個別のメッセージの伝達よりも議題設定(agenda setting)において優れている。すなわち、あるトピックに対する人びとの考えそのものではなく、その人たちがそもそも何をトピックスとして考えるかに影響力を発揮しやすい。」(185ー186ページ)

「(社会問題の)所有権は、問題の見通しそのものにも、その問題を推進する活動家にも影響を与える。しかし誰かが所有権を持たなければ、社会問題過程が前進することは難しい。大衆の関心は、他の話題が盛り上がると、簡単に移り変わってしまう。所有権者は問題に着目し続け、人びとにその重要性を思い起こさせ、その話題が新鮮かつ興味深いものになるように、自分たちのクレイムを改定し続けなければならない。」(109ページ)

「私たちは聴衆に語りかけるクレイム申し立て者を想定しがちであるが、受け手が受動的であると考えてはいけない。受け手もクレイムに反応するし、その反応に応じるかたちで、クレイム申し立て者は問題構築の仕方を変える傾向がある」(334‐335ページ)

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«インターネット関係でトラブルが続く。