経済的インセンティブが社会的インセンティブや道徳的インセンティブを損なってしまうこと
保育園では「子供を午後4時までに迎えにこなければならない」という決まりがあったが、遅れてくる親がいて困っていた。経済学者の提案で、「迎えにくるのが10分以上遅れたばあい、その親には毎回子供1人につき3ドル」という罰金制度を導入した。罰金制度の導入の結果は、予想通りにはならなかった。「インセンティブ」は裏目に出て、週あたりの遅刻がもとの倍以上になった。なぜこういうことになったのだろうか。
上記のことに関心を持った人は、『ヤバい経済学』(スティーヴン・D・レヴィト、スティーヴン・J・ダブナー著、望月衛訳、東洋経済新報社、2006年)を読んでみてください。私は、夢中になって読んでしまい、降りる駅を過ぎてしまうところでした。身の回りに起こっていることと結びつけて考えていました。保育園の例では、「道徳的インセンティブ(遅れた親が感じる罪の意識)を経済的インセンティブ(罰金3ドル)に置き換えてしまった」ことが、罰金の額が少なすぎることとともに問題なのだという説明がなされています。経済的インセンティブが社会的インセンティブや道徳的インセンティブを損なってしまうことがあることと、報奨金や罰金の形での経済的インセンティブ(あるいはディスインセンティブ)が弱くしか働かないならば道徳的インセンティブが損なわれないということにはならないことに気づかされました。
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