本屋で4月24日に買った本(本体価格900円)についてnoteに書いた。
田園都市が非常事態にどう向き合うかを取りあげた佐藤光『よみがえる田園都市国家』(筑摩書房)を批評する。
「はじめに」を読んでみて、さまざまな興味深いテーマを扱っているが、それぞれについての著者独自の主張は断片的なものにならざるを得ないであろうという予感がした。「国家論」というのは、もう少し焦点を絞って論じられるべきなのではないかと思う。「都市計画」についても。
しかし、著者は、第3章「柳田国男の田園都市国家」の中で、「『国家構想』『国家ビジョン』という点ではハワードのそれは・・・・・・たかだか都市論の域を出ず」(151ページ)と書いているように、国家論(あるいは国家ビジョン)と都市論(あるいは都市計画)とを何としても結びつけなければならないという立場のようなので、ハワードの田園都市論も、それに対するジェイコブスの批判も、それだけを議論するのは意味がないということのようだ。
この本の副題は「大平正芳、E・ハワード、柳田国男の構想」となっている。なぜこの順序なのかと思っていたのだが、著者は、総合安全保障の枠組みを重視した「21世紀の田園都市国家構想」というものを描こうとし、その議論の素材として「大平正芳の田園都市国家」を位置づけ、その理論的背景にE・ハワードや柳田国男を想定したのであろう。ただし、E・ハワードの田園都市論は前述のごとく「たかだか都市論の域をでず」と評価されている。
本書には、さまざまな社会的課題についての興味深い分析や提言が含まれているが、それらは必ずしも詳細に述べられているわけではない。「大平構想を柳田の目から見たらどう見えるか」という表現が使われているように、本書の主題は、「自然、家庭、地方の復権を目指した自由主義的分権国家の構想」として、大平構想と「柳田構想」とが「類縁関係」にあるという思想史的考察なのであろう(151ページ)。