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July 31, 2023

関門海峡メガジップラインとか、ドローンタクシーとか

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関門海峡 光の架け橋メガトリップエリア構築事業実施にあたっての実現可能性調査 検討結果
(国土交通省中国運輸局)

こういうのを「ミライ」というのだろうか。海峡の景観がアミューズメントパーク化されてしまう気がする。ジップラインとかは、長期的に利用される設備とは思えない。ニュースでは「アトラクション」という表現が使われている。観光客を引きつけるためのアトラクションばかり考えている都市にまともな未来はない。

山や森など自然のなかに架けられたワイヤーロープにベルトとハーネスを装着してぶら下がり、プーリーと呼ばれる滑車を使って滑り降りるアウトドアアクティビティ
(https://activityjapan.com/feature/zipline_howto/)
料金は1回2万8000円程度
(NHK 山口 NEWS WEB 2023年07月25日)
構想によると、メガジップラインは下関市の火の山公園のスタート地点からゴールとなる北九州市門司区の和布刈公園までをつなぐもので全長は1・74キロ。時速は110キロで滑走時間は90秒。料金は1人2万8000円の計画で、主に海外からの富裕層をターゲットにしている[太字は引用者]。ジップラインの設計や施工費用は15億円を試算しており、2025年春の開業を目指す。実現すれば国内最大となるという。
(関門海峡上空を一気に滑走 メガジップライン構想 実現目指し初会合 -- 毎日新聞2023年7月26日)

移動遊園地の遊具のようなものは、補助金を出すべき事業といえるだろうか。ジップラインは、それを作るだけで10数億円かかるということだ。「F/S」と書いてあるのはfeasibility studyのことだろうか。空飛ぶクルマ(あるいは、ドローンタクシー)等の実現可能性を調査するために合計8千万円以上。当てにされているのが観光庁補助金と地方創生交付金など。おそらく、事業に赤字が生じれば自治体が税金等からそれを補填することになるのであろう。

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上の図に事業者として株式会社KMアドベンチャーという会社が出てくるが、グーグル・マップで調べると、法人登記されている場所(山口県下関市長府松小田本町)にはそれらしきものはない。ジップラインの設計・施工を行うのはこれとは別の事業者なのだろうか。

関門 DMO」というの は、「関門地域で観光業に携わる事業者、行政、教育機関を中心と した会員組織『関門観光企画営業担当者会議』を母体として形成した観光地域づくり法人」ということである。この団体とジップラインを計画している事業者との関係はどういうものなのだろうか。図によって、全く関係がないということを説明しているのだろうか。

また、事業連携の矢印を使って、「観光事業者等」と「関門DMO等」との間に、「行政」だけでなく「大学」を巻き込んでいるのは、なぜか。「学生ボランティア」にワイヤーケーブルなどの保守をさせるつもりではないことは予想できるが、観光事業の連携ということだから、教員や学生による観光案内ボランティアとかは考えられていそうな気がする。

「東武Top」と書かれているのは、東武トップツアーズ株式会社のことだろうか。もしかしたら、この会社あたりがコンサルティング会社として、総括的に全事業の構想をまとめ上げているのかもしれない。

観光産業は、関門2市にとってどの程度の比重を占めているのだろうか。後で調べてみようと思う。パンデミックの時代には、観光産業はその影響を受けやすいことは想像できる。観光客が市外から大挙してやってくることを前提とした地域づくりというのは問題がある。また、カジノ誘致を狙った人々が一枚かんでいるかどうかが気がかりである。「この街の未来のために」とか言ってカジノを北九州市に誘致しようとした人たちがいたことを忘れられない。

 観光業は、旅行業、交通産業、宿泊業、飲食産業、アミューズメント産業、土産品産業、旅行関連産業等幅広い分野を包含した産業であり、我が国経済に与えている影響は非常に大きい。また、地域レベルで見ても、観光業は、地域外との対流・交流を生むとともに、地域外から利益を得て地域経済を支える産業として重要である。このため、観光業についても、我が国及び地域にとっての存続基盤であると言える。
(国土交通白書 2021)

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July 25, 2023

Twitter(あるいはX)から離れる。

イーロン・マスクの野望の実現に協力したくないので、Twitterのアカウントを削除する方向で準備している——X社の収益増加に結びつかない利用方法を選択するのでもいいかもしれない。決済機能まで備えた何でもできるサイト(あるいはアプリ)にしようとしているようだが、彼の独裁者のような企業運営は支持できない。トップが信用できない企業が情報通信の世界で巨大化することに協力するわけにはいかない。彼のビジネスがうまくいかないことを望んでいる。

ガーディアン誌に以下のように取りあげられている。そういえば、日本でも、「スマホ」を身分証明書や保険証、税金の納入に使わせようとする動きがあることに警戒すべきか。「スマホに依存しない生き方」を選択する自由が失われてしまう。

Musk tweeted last year that buying Twitter was an “accelerant to creating X, the everything app”. The world’s richest man has referred to the social media platform being converted into a product akin to WeChat, an enormously popular Chinese app that allows users to perform multiple functions from messaging to ordering a taxi and paying bills.
Will Elon Musk’s X rebrand help Twitter soar to new heights? -- The Guardian, Mon 24 Jul 2023

次の3つのサイトは、私が運営しているもの。Googleで検索すると出てくる。Twitterで見かけなくなってもこれらを使っているはず。このサイトの右サイドの最下部にリンクを置いている。

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それらの内容についての問い合わせは、以下のメールアドレスへ。(アドレスの一部分を画像として表示。)

E-mail:Screenshot-20250317-at-113146 moteki.la.coocan.jp

 


 

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しばらく前に読んだ本に、デジタル・ミニマリズムを提唱するものがある。第7章のタイトルは「SNSアプリを全部消そう」で、スマホからソーシャルメディアを削除しようということである。パソコンのブラウザを介してアクセスするバージョンよりも、モバイル版アプリは、ユーザーの時間や注意を奪いやすいという観察が示されている。「いいね」をしない、コメントを付けないという使い方も提案されている。

『デジタル・ミニマリスト:スマホに依存しない生き方』(カル・ニューポート著、池田真紀子訳、ハヤカワ文庫)

ソーシャルメディアのおしゃべりやニュース速報サイトの情報よりも、定評のある新聞やオンライン雑誌に掲載される調査と吟味を重ねた報道のほうがはるかに質の高いものであることが多い。(333ページ)
ある問題に関心を持ったとき、あなたが誰よりも信頼を置いている人々がその問題についてどう考えているかチェックしたほうが、ツイッターのハッシュタグ検索のぬかるみや、延々と続いてあなたのフェイスブックのタイムラインを埋めていくコメントの山をかき分けるより、よほどためになるということだ。(334ページ)

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July 24, 2023

「データ共同利用権」と「スマート・シティ」

デジタル庁発足に際して「データ共同利用権」という概念が宮田裕章氏によって提起されたようだ。宮田氏は、北九州市(武内和久市長)が任命した10人のアドバイザーの1人である。


(宮田裕章氏のnoteより)

これに対する批判記事が以下のもので、鈴木正朝氏の意見が紹介されている。「本人同意を得ずに医療データを活用する取り組み」が「21世紀の基本的人権」として取りあげられていることに疑問を投げかけている。

気になるのは、「基本的人権」という言葉だ。これは日本国憲法が定める基本的人権の書き換えを迫っているようにも読み取れる。人権とは決して奪えない個人の権利を指す言葉だ。

しかし、提案内容は公益のためのデータ利用を推進しようというもので、むしろ個人の権利であるプライバシーを一部制約しようとしているように見える。このような議論のために「人権」という言葉を持ち出したことは不適切だったのではないか。
「昨今まれに見る最悪の意見」──デジタル庁の議論「データ共同利用権」に専門家が異議 “プライバシーフリーク”鈴木教授に論点を聞く

ところで、最初の宮田裕章氏は、次の文の中で「社会的距離」という表現を用いているが、「物理的距離を取る」と言う方が適切であろう。 「we keep a distance of at least 1m from each other and avoid spending time in crowded places or in groups」のことだろうから。宮田氏の「最大多様」というような概念と伝統的な「社会的距離」の概念とは親和性がなく誤解を招きやすい。

一方で、私を含む現場以外の立場では何ができるのか?それはやはり社会的距離をとり、今はできるかぎり家にいることです。感染経路が見えない間は、様々な行動制限の中で感染を押さえ込むしかないのです。
今、「医療崩壊」以外のことも考えなければならない理由 — 宮田裕章氏のnote

正直に言って、下のような宮田氏作成の図でまともな議論ができるとは思えない。岸田文雄氏の「新しい資本主義」と同様に、選挙ポスターによくある大言壮語のキャッチフレーズのようだ。例えば、「生活者発想」というのは、「統治者発想」と具体的にどのように違うのか。「生活者」というのは「被統治者」の言い換えに過ぎないのではないか。「データ共有発想」は、「独占資本」が「スマート・シティ」()での利益最大化のために求めているものなのではないか。こんなものを出発点として「日本国憲法」をいじろうとしているのならば呆れてしまう。


(最大「多様」の最大幸福 The Greatest happiness of The Greatest “Diversity” — 宮田裕章氏のnote)






[注]

『スマート・イナフ・シティ』(ベン・グリーン著、中村健太郎・酒井康史訳、人文書院発行、2022年)という本がある。Putting Technology in Its Place to Reclaim Our Urban Futureというのが副題。「スマート・シティ」とか「DXと地方創生」、「自治体DX」というキャッチフレーズで語られる内容に違和感を持っている人は、その違和感が正しいことを、取りあげられている色々な例で確信することができる。

現在のところ、スマート・シティのアーキテクチャは根源的に非民主主義的である。多くのテクノロジーが、個人のデータを収集し、民間所有の不透明なアルゴリズムを使うことで、人の人生を左右するような決定を行っている。その過程で、大きな情報と権力の非対称が生み出されているのだ。政府や企業の立場は、監視や分析の対象となった人びとよりも有利なものとなる。
(『スマート・イナフ・シティ』p.137 )

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July 23, 2023

「余計な悩み」がないことを「健康」としてとらえるのならば、病気を患(わずら)っていないことを健康としてとらえるのと同じ発想だ。

大事なことは、「健康」とは、単に病気がない事を指すのではなく、体のみならず、心が健やかであること、取り巻く環境に余計な悩みがないこと指すのがWHOの定義だそうです。
(北九州市長武内和久)

「取り巻く環境」が「(個人の)社会的状態」を指すとしても、理念的に考えれば(注1)、「取り巻く環境に余計な悩みがないこと」というのは、social well-beingの解釈(あるいは日本語訳)としては不正確だ。

「余計な悩み」がないことを「健康」(の一部)とする発想は、健康を病気の不存在としてとらえるのと同じであるし、「complete well-being」という理想とは、ずれている。本人が気づいていなければ、問題(あるいは社会的障害)は存在しないことになってしまいかねない。

悩むことが余計だというわけではないのだろうし、悩みすぎてはいけないということでもないのであろうが、なんとも不思議な表現だ。WHOの健康の定義のこの部分は、普通、「社会的に良好な状態」と訳されている。

最近は、「良好な状態」の部分は、「ウェルビーイング」とカタカナ言葉として使われることもあるようだ。「social well-being」は、「広い意味でよい社会である[太字は引用者]と同時に、家族や友人、職場の仲間などごく近しい人間関係においても良好である」と説明されている。

講演者によって語られたとされることについて、以上のように考えた。講演では、平均寿命や健康寿命、健康についてのWHOの定義などが紹介され、「健康が大事です」という趣旨のものだったようだ。もしかしたら、実質的には、1年以上更新されていない「北九州市民会議」の関連イベントのようなものなのかもしれない(注2)。市長によるツイートでは、4枚の写真のうち2枚に笑顔の市長が写っていて、北九州市民会議と同様に、武内和久氏個人が主宰する市民向けセミナーのように見える。

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以下はWHOによるhealthの定義。

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July 21, 2023

10人のアドバイザーが東京で意見交換をしたという。

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10人のアドバイザーが東京で北九州市の未来について意見交換をし、そのうちの1人の“企業経営者の鎌田恭幸さんは「市だけでなく広域的な地域の発展を目指す視点が必要で、……」と語った。”
(北九州市発展へアドバイザー10人が意見交換 建築家の隈研吾氏らが持論語る — 西日本新聞 2023/7/14)

鎌田氏は投資信託会社の代表取締役社長のようだが、まともな「持論」だ。市の人口(夜間人口)が増えればそれでいいというのではおかしい。周辺の市町村から定常的移動(通勤や通学)で北九州市に毎日やってくる人たちのことも視野に入れるべきだし、周辺の市町村との関係で北九州市の人口の変化(社会増減)も把握されるべきだ。

隈研吾氏は、有名な建築家だが、一般的に有名な建築家は外見を重視しすぎるのではないか。外形的デザインは、しばしば、利用者の使いやすさを犠牲にすることで成り立っている。下関市の「川棚の杜」も、群馬県の富岡市役所庁舎も。西日本新聞記事では、「建築家の隈研吾氏らが持論語る」と10人のアドバイザーの代表的存在のように紹介されていているが、隈研吾氏によって語られた持論がどのようなものであったかはわからない。

隈研吾氏の考えは、以下の引用から知ることができるかもしれない。建築家は「自由な表層」や「強さ」にこだわらなければならないということのようだ。「世の中の人々が注目しているイッシューを全部のみこんだうえで」という発想には感心するのだが、「ブランド」を意識しすぎているのではないだろうか。

八〇年代のポストモダンの時代に、本当の意味での自由な表層は可能だと宣言したわけですが、八〇年代の表層は自由であることに価値があったわけだけれども、今は自由であること自身には何も価値がない。自由さのうえで達成したあるキャラクターを持ったヴィサージュが作れているかどうかを資本が僕らに問うている。八〇年代のレヴェルは今から見るとナイーヴなレヴェルにあったわけで、表層が自由に、グラフィカルにできた、ということ自身に価値があった。今は自由の上に達成したものの強さが求められていて、その強さを出すためには、実は表層だけではなく、その構造とどう絡ませるとか、サステイナビリティといった環境の議論をどう絡ませるかとか、世の中の人々が注目しているイッシューを全部のみこんだうえで、丁寧に織り上げた織物みたいにして表層を出してこないと、それがひとつの強さをもってアピールしないという状況が来ている。
(景観の現在──グローバリゼーションのなかでの変容 | 隈研吾+今村創平 聞き手)

西日本新聞記事によれば、10人の「持論」が披露されたらしい。しかし、それらをアレンジすれば「ミライ」への「ヴィジョン」が出てくるだろうか。東京で各界1人の有名人の話を聞くよりも、私の予想だが、市役所各部門の第一線の職員の現状分析から学ぶことの方が有効であるように思う。 「ミライ」のために市役所があるわけではない。
(➔「ミライ」よりも都市の最適規模を考えよう。テクノロジーは都市の未来を取り戻すために

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「工業都市や環境に優しいまち、医療施設の充実、地価の安さといった市の特徴を生かしたまちづくりのイメージや施策を武内和久市長に示した」ということだが、詳しい内容を知りたい。会議録等は公表されるのだろうか。Twitterで私がフォローしている辻野晃一郎氏がどのような意見を述べたかに関心がある。説得力のあるtweetをいつも読んでいる。

関連記事:
北九州市政へ隈研吾氏や鎌田実氏が助言 「アドバイザリーボード」に任命へ — 西日本新聞 2023/5/26

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July 20, 2023

「ミライ」よりも都市の最適規模を考えよう。

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「気がついたらしゃれた町に」福岡・久山町が人口増を目指さない理由
— 西日本新聞

人口を増やすことだけしか考えていないどこかの市長に読ませたい記事。空飛ぶクルマや宇宙ビジネスなどで「ミライ」を描くよりも、都市の最適規模というテーマが重要だ。

 

次の図は、「北九州市立地適正化計画」(平成28年9月)よりの引用。

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「人口100万人の復活」というような目標よりも大事なことがある。「生活利便性」や「コンパクトさ」などだ。


下に引用したのは、武内和久候補の「未来構想図(第1弾)」である。第1弾と書いてあるが、第2弾はもう出てこないだろうと思う。たぶん。つまり、第1弾を展開させた形としては。2023年2月5日の選挙で当選して市長になった武内和久氏にとっては、「初心忘るべからず」というときの「初心」が表現されている未来イメージとして大事なもので、執務室の壁に貼ってあるらしい。政令指定都市の市長室がアミューズメント・パークの社長室のような雰囲気になっていませんか。

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(『北九州2050』―武内和久が皆さんと作る未来構想図(第1弾) 北九州市の未来構想図)

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July 19, 2023

Twitterで雑誌『世界』(岩波書店)のアカウント(web_sekai)が凍結された。

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『世界』は、全部の記事を読んでいるわけではないが、去年から毎号近所の本屋で買って読んでいる。今出ているのは8月号で、その前の7月号は、ChatGPTの特集であったと思う。『月刊hanada』などは、発行されると棚の前の低い位置に山積みにされるが、『世界』は、上の棚に、1冊だけ表紙を見せる展示方法で2冊か3冊置かれているだけである。私が買おうとしたときに1冊しか残っていないこともあった。その本屋は、私が住んでいる「校区」とは別の校区にある大型複合商業施設の2階にあり——自転車で15分の距離——、山積みの『月刊hanada』がどんな顔の老人たちにどれだけ買われていくのかといつも疑問に思っている。レジに持って行く人を見たことはない。

『世界』8月号

【特集:安倍政治の決算】
 安倍晋三元首相が亡くなってから1年が経つ。
 激しい批判にさらされながらも熱狂的な支持を獲得し、たびかさなる選挙でも勝利し、8年8カ月余という憲政史上最長となる政権を実現した安倍元首相の存在感は、今も大きい。安保法制や異次元の金融緩和をはじめとする安倍政権の政策思想は、岸田政権にも受け継がれ生き残っている。
 しかし、「安定政権」のもとで多くの課題も噴出した。歴史認識をめぐる対立や沖縄の基地問題は安倍政権時代にこそ激化し、縁故主義や政治と宗教をめぐる利権構造は肥大化した。
 また、少子化対策は次世代に積み残され、女性や性的マイノリティの権利をめぐるバックラッシュも起きている。
 在任3188日のあいだに社会の何が変わり、何が変わらなかったのか。長きにわたって日本の舵取りを行なってきた安倍政治を歴史的に位置づけ、重層的に見つめ直す。
(https://www.iwanami.co.jp/book/b630007.html)

下のtweetで凍結のことを知った。Twitter社の関係者(content moderators)は、『世界』という雑誌を読んだことがないのであろうか。『岩波文庫」も「岩波新書」も。そういう人物がどういう風にリクルートされ、どのような職場環境で仕事をしているのだろうか。それとも、もしかしたら、イーロン・マスクのTwitterの日本法人が、content moderationをすべてAIに任せてしまっていて、そのアルゴリズムが、政府を擁護する内容のものだけを正当とするものなのだろうか。ChatGPTの「回答」が社会的問題(例えば自転車用ヘルメットの着用)について頑固に関係当局の見解を押しつけてくることがあるので、ふとそう思った。アルゴリズムではなく、機械学習のトレーニング・データの問題と関係があるかもしれない。

現在も凍結されたまま。岩波書店のアカウントでの連絡。

以下のように「人間が介在すれば凍結されることはないはずだ」という予想が星暁雄氏によって述べられている。

「世界」のアカウント凍結について、ITジャーナリストの星暁雄氏は「伝統ある雑誌に対しておかしなことが起きた。偏った思想を持つ勢力がアカウント凍結を狙い、組織的に通報したとしても、人間が介在すれば凍結されることはないはずだ[太字は引用者]。機械的な処理の過程で見過ごされたのかもしれない」と推し量る。
特集「安倍政治の決算」が原因? 月刊誌「世界」Twitterアカウント凍結で憶測拡散:東京新聞 TOKYO Web )

凍結が解除されたようだが、何の説明もないようだ。

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July 17, 2023

SafariとChromeという2種類のWebブラウザの使い分けについて

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Webブラウザというものは毎日使っている。 アップル社のパソコン等を使うようになってからSafariを使うことが多い。 SafariとChromeとは、同じようなことをできるので、両方を使い分けるというような発想はなかった。

最近、自分のココログのページを印刷する際に右サイドの欄を除外するために、HTMLファイルを特別に作成してサーバーに置くということをやっていた。その場合に、印刷後に左で綴じるために十分なマージンを確保した。 ところが、ChromeにもReader Viewというのがあり、これは、Safariのものよりも高機能で印刷用に使えそうだということに気づいた。

しかし、印刷したときに現れるヘッダとフッタの表示内容——Reader Viewの場合でもそうでない場合でも同じ——は、Safariの方がいいと思っている。CSSなどを調べれば自分の好みのように指定できるのであろうが、それをするのは、今の私にとってはハードルが高すぎる。

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July 15, 2023

ユーモアと優しさをもってしか語れない絶望や暗転がある。

「モラリティをもってしないと描ききれない非モラルな状況があります。アイロニーをもってしか語れない幸福や安寧があり、ユーモアと優しさをもってしか語れない絶望や暗転がある。」

『巨大なラジオ/泳ぐ人』(ジョン・チーバー著、村上春樹訳、新潮社発行)の「解説対談」(対談の相手は柴田元幸氏)で村上春樹氏がその最後に語っているこの言葉は、自分自身の創作についてだが、チーバーの短編小説にも当てはまることとして語られているのであろう。「非モラルな状況」を描くにはモラリティという枠組みが必要であり、完全な「幸福や安寧」は存在せず、「絶望や暗転」の中に人間の無力と滑稽さを見ることができるということだろうか。

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訳書の最終章は「なぜ私は短編小説を書くのか?」というタイトルで、その中でチーバーは、「我々が経験によって支配されている限り、そしてその経験が強烈さと挿話的性質によって特徴付けられている限り、我々は短編小説というものを文学の中に含め続けるだろうし、言うまでもないことだが、文学がなければ我々は滅びてしまうだろう」と書いている。時間をつぶして小説を読むことを正当化してくれているようで、励まされる気がする。「文学がなければ我々は滅びてしまうだろう」という言葉にも何だか説得力がある。

村上春樹氏の訳で出てくる「挿話的」という言葉がよく分からない。anecdotalのことではなく、episodicのことなのであろう。行間を読むならば、「その人にとって重要な出来事の勃発と展開、結末」ということではないだろうか。村上春樹氏が訳したチーバーの短編小説集を「巨大なラジオ」から「シェイディ・ヒルの泥棒」まで毎晩1編ずつで8編読んでみて——残りはあと11編——、そのように考えた。

翻訳というのはたいへんに厄介な作業であるから、翻訳に取り組んでくれたことに感謝する気持ちは変わらない。ジョン・チーバーという作家のすばらしさを村上春樹氏の訳で味わうことができて満足している。


John Cheever

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July 13, 2023

五十嵐敬喜「マンションは生き延びられるか?」(『世界』8月号)を読んで

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五十嵐敬喜氏の「マンションは生き延びられるか?」(『世界』8月号)を読んだ。

五十嵐敬喜氏によれば、「『少子・高齢化』にともない大量に発生した所有者不明の土地、空き家などの解消」が新土地基本法の制定(2020年)を頂点にして政府によって取り組まれた後、残っているはるかに困難な課題が「マンション改革」であるという。「現在、マンションは全国に685万戸建築されており、おおよそ1500万人が居住している」のであるが、「コンクリート造りでいかにも堅牢に見えるマンションも、いずれ寿命がきて建替えが不可避となる」のだが、「このままではマンションは建替え不能で巨大産業廃棄物になる」と述べられている

正直言って、私は、民間のマンションに、「タワマン」も含めて、住みたいとは思わない。しかし、五十嵐氏の論文を読んで、日本のマンションが抱える問題について色々な興味深い事柄を知ることができた。五十嵐氏によれば、「生活という視点」から見ると、「生活とは無縁の無限大の『投資』行為を許容し、あるいは、そこで生活している人々(賃貸者等)の組合[管理組合のこと:引用者注]への加入を拒否し、その意見を無視できるマンション法」こそ「マンション危機の真の原因」であるという。

「コミュニティの欠如」による障害が、マンション内部の孤立状態とともに、災害時や日常生活でも生じる地域生活上の困難として取りあげられている。個人的には、「コミュニティ」というカタカナ言葉が出てくる文章には疑念を持つことが習慣化しているのだが、五十嵐氏は「身近な人との付き合いや助け合い、共同作業など」をコミュニティと表現している。そして、それを、マンションについては、マンション内部のそれとマンション外部の地域との関係として2つに分けている。

私が関心を持ったのは、「地方自治法が新たに設けた『地域自治区』(地方自治法202条の4、市町村の合併の特例に関する法律23条。2005年」についての紹介部分である。そこでは、マンションの自治会が「地域自治区」に加入することによって、コミュニティを充実させるだけでなく、『公的』な位置づけを得ることができる」と説明されている。マンション内部の活動等に地域住民が参加する道が開かれたり、マンションの老朽化や建替えについて地域住民の協力が得られるようになるということなどの効果が述べられている。

この部分を読んで、自分が住んでいる校区では、校区自治連合会にマンション自治会が複数加入していることを思い起こした。しかし、マンション自治会の関係者が、校区自治連合会とは別の、北九州市が設置を促進した「まちづくり協議会」の構成員として実際に活動しているかどうかは知らない。まちづくり協議会規約によれば、第4条「構成」の2番目に「町内自治会長」があるので総会等への参加資格は、マンション自治会の会長にはあるはずだ。

しかし、意外なことに、まちづくり協議会の総会は、「役員の過半数の出席で成立する」(第12条)となっているので、参加資格がないことになる。役員とは会長、副会長、事務局員、会計、会計監査と規定されている(第5条)。なお、「市民センターだより」(2023年6月1日付)によれば、新たに相談役のポストが設けられ前会長が就任したことが確認されるが、規約改正と役員選出が、「会員」ではなく「役員」の過半数の出席で成立する「総会」で議決されうる規定になっていることが不可解である(➔https://ab.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-ee42b7.html)。

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(志井校区まちづくり協議会規約)

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(志井校区まちづくり協議会規約)


(市民センターだより)

「地域自治区」制度は、五十嵐氏によれば「学校区などを基礎単位として事務所を置く。その長として自治体職員が着任し、そのもとには『地域協議会』が置かれる」というもののようだ。自治体職員が地域自治区事務所の長となるというところが、北九州市の校区単位のまちづくり協議会と少し違うのかもしれない。

五十嵐氏は、この制度のプラス面とマイナス面とに言及し、「どちらに転ぶかは使い方次第であろう」と述べている。法律によれば、地域協議会の構成員は、「区域内に住所を有する者のうちから、市町村長が選任する」となっている。「報酬を支給しないこととすることができる」となっているので無報酬であろう。

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(地方自治法202条の4)

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July 12, 2023

役員の選出方法等からとらえた校区自治連合会・区自治総連合会・市自治会総連合会の間の関係について

役員の選出方法について規約で確認してみると、校区自治連合会においては、総会で役員が選出されることは規定されているが、「下部」組織と捉えられている町内会・自治会の会長であることは条件ではないようだ。規約では、「会長及び副会長は、会員の中から総会において選出する」(第8条の1)となっていて、この会員は、「校区内に居住するすべての町内自治会会員及びその組織とする」(第4条)と規定されている。組織としての会員は、各町内会・自治会であろうが、個人としての会員というものも想定されているので、町内会・自治会の代表(つまり会長)ではない個人が校区自治連合会の会長または副会長となることができるのであろう。なお、「校区内に居住するすべての町内自治会会員」が会員であるはずだが、総会等に実際に誰もが参加できるかというと、そうではないようなので、矛盾を含んでいる規定であると考えざるを得ない。

町内会・自治会の会長でなくても校区役員になることができるということは、校区役員とそれとを兼任することから生じうる役割間の衝突の問題を回避するためであろうか——校区役員が自分の属する町内会・自治会の利益代表として振る舞うことは望ましいこととは言えない。それとも、単に兼任に伴う負担を考慮してであろうか。ただし、規約上は、校区役員(会長、副会長)が、校区を構成する町内会・自治会の会長を兼ねることは排除されておらず、そのようなケースも見られるようだ。

これに対して、その上の区自治総連合会と市自治会総連合会の場合には、明確に、下部組織の会長の中から役員が選出されることが規定されている。これは、会を構成する単位が、個人ではなく、下部の団体であることを示しているものと思われる。したがって、同一人物が、町内会会長・校区自治連合会会長・校区社会福祉協議会会長・まちづくり協議会会長に加えて、区自治総連合会役員(会長あるいは副会長)の役職に就くことも排除されていないということになる。

下部組織の会長の中から選出された役員は、下部組織での役職を辞任したときには、それと同時に辞任する必要があるのだろうか。つまり、市自治会総連合会の役員は、同時に区自治連合会の会長であり、また、区自治総連合会の役員は、同時に校区自治連合会の会長でなければならない、ということなのだろうか。それとも、それは、選出時にのみ適用されるルールなどだろうか。

役員手当の有無は、これらのこととどのように関係しているだろうか。つまり、校区自治連合会会長の役員手当には、上部の団体の役員を兼任する場合があることが、上部の団体の会議等に参加することとともに、想定されているのだろうか。もしそうであれば、区自治総連合会と市自治会総連合会の会則に役員手当の支給が規定されていないことと結びつくかもしれない。そのような仕組みであると仮定すれば、「連合会費」としての分担金の拠出——会員世帯数約2,000の校区自治連合会でそのために19万円の予算が組まれているケースがある——とともに、校区自治連合会とその会長の役職は、3層のシステムの中で下から全体を支えている重要な部分であるように見える

(1) 校区自治連合会の場合

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(2) 区自治総連合会の場合

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(3) 市自治会総連合会の場合

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July 08, 2023

校区という言葉について

ふと気になって、校区という言葉を調べてみた。NHK放送文化研究所のウェブサイトによれば、正確には、「通学区域」で、放送用語としては「学区」が使われているようだ。
公立学校の通学範囲を表すことばにはいくつかあるようですが、どれを使ったらよいのでしょうか。
正式名称は「通学区域」ですが、通称としては「学区」が最も一般的です。
(学区? 校区? 校下?、NHK放送文化研究所)
出所: Screenshot-20230708-at-130928
北九州市教育委員会

「まちづくり協議会」、「自治連合会」などが、「校区」単位で設けられている。これには、どういう意味があるだろうか。

北九州市は、平成6年度から、小学校区単位を基本に「まちづくり協議会」の設置を促進していて、小学校区とした理由として以下のことが挙げられている。

  • 子どもや高齢者が歩いて行ける「ご近所」という生活感覚に最も近く、子どもの通学路等で、親や地域住民が関心を持ち始めるエリアであること。
  • こうした生活感覚は地域課題の解決を図るうえで重要であり、活動の企画・実践に取り組みやすい。
  • また、小学校区単位に組織されている地域団体(自治会、社会福祉協議会、小学校PTA)もあり、様々な団体が一体となって地域づくりに取り組める素地があること。
  • 転入者や域外居住者から見ても、小学校区は分かりやすい。
    (地域づくり・まちづくりの概要、北九州市)

「子どもや高齢者が歩いて行ける『ご近所』という生活感覚に最も近」いというのは、市街地の場合には当てはまるかもしれないが、郊外の場合には、当てはまらないケースが多いのではないか。住宅が存在する範囲で見ても、徒歩であれば端から端まで1時間近く、あるいはそれ以上かかるところがある。

他方では、市街地においては、道路をはさんで反対側が別の町内会・自治会の区域で、しかも別の校区ということが各校区の周辺部において起こる。そのような場合、「ご近所」という感覚は、必ずしも、校区の境界に左右されるものではないはずである。

また、小学校区単位に組織されている地域団体として「自治会」があげられているが、町内会・自治会とは異なって、その「上部」団体の「校区自治連合会」は、住民の自治組織であるとは言えない(町内会とその「上部」団体との関係: 校区分担金と市政連絡事務委託料をめぐって)。

郊外であっても市街地であっても、都市化された「校区」においては、防災のためであれ他のどんなことのためであれ、その全体を1つの、かつての村落共同体のようなものととらえることには無理があり、バラバラな地域が1つにまとめられた、小学校のキャッチメント・エリアに過ぎない。地図を細かく見ると、小学校のキャッチメント・エリアが中学校のそれに包含されず、小学校のキャッチメント・エリアの境界線が中学校のそれと交差する部分も見られる。そのことが問題ではないのであれば、小学校区の範囲というものは、切り離すことのできない「固有の全体」とみなすことができるものではないことになる。つまり、「自然村」・「行政村」という概念を思い起こせば、「行政区域」であって「自然」地域ではない。

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ネイバーフッド内で観察される相互作用の実際のパターンに影響を与える要因

たまたま、昔書いたメモ(Evernoteの中のPDFファイル、元々はHTMLファイルであったもの)を発見した。MARTIN BULMERという人の本からの抜き書きで、ネイバーリング(ネイバーフッド内で観察される相互作用の実際のパターン)に影響を与える要因についてのものであった。本は、家の中のどこかにあるはずなのだが、簡単には見つかりそうにない。

このような種類の研究というのは、今でも誰かがやっているのだろうか。おそらく、英国の場合と日本の場合とでは共通することもあるだろうが、共通しないこともあるはずだ。もちろん、都市の内部でも、例えば旧市街と新興住宅地とでは大きな違いがあるだろうが。

ネイバーリング(ネイバーフッド内で観察される相互作用の実際のパターン)に影響を与える要因
(1)その居住地区が作られてからの経過年数と特定の世帯の居住年数
(2)近接性(すぐとなりと隣の通りでは違う)
(3)年齢とライフ・サイクルにおける段階(小さい子供の有無、共働き)
(4)性差(男は、仕事や、趣味、パブなどに世界がある)
(5)個人の歴史(生活史)
(6)パーソナリティ
(7)階級差
(8)私的生活の重視の傾向
(NEIGHBOURS_The work of PHILIP ABRAMS, MARTIN BULMER, CAMBRIDGE UNIVERSITY PRESS,1986.)

<言葉の区別>
ネイバー」:互いに近くに住んでいる人。
ネイバーフッド」:「ネイバー」の住んでいる範囲。
ネイバーリング」:「ネイバーフッド」内の実際の相互作用のパターン。
ネイバーリネス」:隣人の間の積極的な関係。(a)相互の訪問、レジャーやレクリエーションのための 外出。(b)隣人に対する好意的な態度。
潜在的ネイバーリネス」:ニードが生じたときに積極的な行為となって現れる、隣人に対する好意的な態度。

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July 04, 2023

校区自治連合会、区自治総連合会、市自治会総連合会の会則からわかること

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会則で使われている表現について

校区自治連合会の会則では、上の「市・南区総連合会」との関係について「連携協力」という表現を使っている。

これに対して、校区自治連合会から連携協力の相手として位置づけられた区自治総連合会の会則では、校区自治連合会との連携協力ではなく、非対称的に、下の校区自治連合会間の「相互の緊密な連携協力と親睦融和を図る」という目的が掲げられている。

本来的には、校区自治連合会間のことは校区自治連合会同志で取り組むべきことではないだろうか。「上」の団体によるお膳立てが必要という発想なのであろう。

区自治総連合会の目的に出てくる、校区自治連合会間の「親睦融和」という表現がよくわからない。「親睦を深める」ことと「融和をはかる」こととを並列しているのだろうか。そもそも個人間のことではなく団体間のことなので、どういうことなのだろうかと思う。

区自治総連合会の会則には「指導推進」(第4条(2))とあるが、常識的には、区総連合会に校区連合会を指導する権限があるというわけではないようだ。

区総連合会は、校区自治連合会の活動を支援し、推進する役割を担います。支援とは、必要な情報や資源を提供したり、活動の調整や協力を行ったりすることを意味します。また、推進とは、校区自治連合会の事業や目標の達成を促進するために努力することを指します。
校区連合会の具体的な活動や方針は、校区自治連合会自体が決定し、運営しています。区総連合会は、その活動をサポートする立場にあります。(例の生成系AIの回答)

北九州市自治会総連合会規約には、「末端行政の充実」とか「美しい風習」とか奇妙な表現が目につく。これについては6月29日付けの記事で以下のように書いた。

「末端」が重要だという考えであれば、「末端行政」という言葉を使わないのではないか。また、「希求する」という言葉は、「市の末端行政の充実」というような表現とともに用いられるものだろうか。

「自主的に組織活動を助長する」という表現も、どこかおかしい。「美しい風習」とは「醇風美俗」のことだろうか。「善処協力する」という表現も意味が通りにくく、また、「組織の統一化」とは何のことなのか。

どんな時代に誰によって作られた規約なのだろうかと思う。

北九州市自治会総連合会の「正副会長会」で「市関係部局からの説明事項」の説明や、事務局(市職員が委嘱されている)からの報告等があり「意見交換」が行われる。「役員会」では、基本的に、事業計画や予算が、事務局作成の原案通り決定される——詳しい議事録は意味がないので公表されない。

その決定結果は各区の自治総連合会に、上意下達の決定事項として通知される。同様にして、各区の自治総連合会から校区自治連合会へ決定事項が通知され、「末端」まで——「市民センター」や町内会・自治会にまで——影響力が及ぶ、というスタイルになっているのではないか。

 

町内会の上にある団体について考えたこと

町内会・自治会は、「住民の自治組織」と言えるだろう。しかし、その上に3層ある団体は、「まちづくり協議会」も同様だが、そのように言うことはできない。

市町村は、「自治体」であることは明確であり、その長や議員は住民の選挙で選ばれている。選ばれる人の中には、老人もいれば若者もいる。選挙で得票数が相対的に少なければ落選して職を失うこともある。(ただし、「職業としての議員」というシステムには、色々な意味で問題があるかもしれない。総務省「地方議会制度に係る論点」が参考になる。)

北九州市自治会総連合会、各区の自治総連合会、校区自治連合会は、不思議な団体だ。再任回数に制限がない場合には、「オーナー社長」のように何十年もその団体の会長等を務めているケースがあるようだ。そして、「子飼い」の後継者たちを組織化している。町内会・自治会の場合にもしばしば見られることだが、「長老的・ボス的」なグループが支配する世界なのであろう。

また、「この団体における役職が地域における個人の社会的地位を決定し、この団体自体が一種の威光と権力の場である」(近江哲男)ということが当てはまるのであろう。

権力を持った長老たちの希求する「地域の活性化」というものは、権力を持たない人びとにとっては歓迎されざるものとなる可能性がある。

自治総連の事業の3番目に出てくる「美しい風習の育成」とは、長老による支配のことかもしれない。

 

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July 02, 2023

2か月前にやってきたサトイモの葉が大きくなった。

プランターから地面に移したサトイモの葉が大きくなった。私は観賞用としてナフコで買ったつもりである。近くのナフコの駐車場と店舗の間に、野菜や果物の苗、花木の苗などがたくさん並べてあるコーナーがあり、2か月前にそこで2種類のサトイモを選び、買って帰った。

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2か月前にプランターに植えたときの様子:
2個のサトイモをプランターに植えた。(April 27, 2023)
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July 01, 2023

ココログとnoteの使い分けを考えてみた。

  1. 目次や注を付けないようなエッセイは、ココログを使うのがいいのだろう。ココログには目次を生成する機能がないが、短い記事であれば目次を付けなくてよい。ココログの、デザインの自由度が高く、しかもシンプルで軽いシステムがよい。
  2. ココログでは、サイドに最近の記事へのリンクなどがないと使いにくい。サイト内のナビゲーション等のために必要。
  3. 印刷するときには、ココログのサイドの欄は邪魔になる。その場合は、記事の欄のhtmlファイルを作成して印刷すればよい。noteでは、印刷についての自由度がない。字が少し大きすぎる。老眼の人向けに書くのはいいかもしれないが。
  4. テキストだけであれば、ココログとnoteの間でコピーができるが、画像はそのままコピーすることはできない。画像を入れる記事は、最初にどちらを使うかの判断が必要。
  5. 引用や画像の下に説明を付ける機能がnoteにはあるが、ココログにはない。配置を考えて説明を並べるしかない。
  6. ココログでは、外部にある画像を表示することができる。リンクを張るだけで、サーバーに保存しなくてもよい。noteではそれはできない。
  7. ココログでは、HTML言語を使うことができて楽しい。noteでは使えない。
  8. noteのマガジンという機能は、複数の記事をまとめるのに便利。ココログの「カテゴリー」は、記事を分類することはできる。しかし、分類を変更したりするのは面倒。(カテゴリー名を変更するのは容易。)

 

cat(この画像は、Twitterのサーバーにあるもの。)

 

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