「余計な悩み」がないことを「健康」としてとらえるのならば、病気を患(わずら)っていないことを健康としてとらえるのと同じ発想だ。
大事なことは、「健康」とは、単に病気がない事を指すのではなく、体のみならず、心が健やかであること、取り巻く環境に余計な悩みがないこと指すのがWHOの定義だそうです。
(北九州市長武内和久)
「取り巻く環境」が「(個人の)社会的状態」を指すとしても、理念的に考えれば(注1)、「取り巻く環境に余計な悩みがないこと」というのは、social well-beingの解釈(あるいは日本語訳)としては不正確だ。
「余計な悩み」がないことを「健康」(の一部)とする発想は、健康を病気の不存在としてとらえるのと同じであるし、「complete well-being」という理想とは、ずれている。本人が気づいていなければ、問題(あるいは社会的障害)は存在しないことになってしまいかねない。
悩むことが余計だというわけではないのだろうし、悩みすぎてはいけないということでもないのであろうが、なんとも不思議な表現だ。WHOの健康の定義のこの部分は、普通、「社会的に良好な状態」と訳されている。
最近は、「良好な状態」の部分は、「ウェルビーイング」とカタカナ言葉として使われることもあるようだ。「social well-being」は、「広い意味でよい社会である[太字は引用者]と同時に、家族や友人、職場の仲間などごく近しい人間関係においても良好である」と説明されている。
講演者によって語られたとされることについて、以上のように考えた。講演では、平均寿命や健康寿命、健康についてのWHOの定義などが紹介され、「健康が大事です」という趣旨のものだったようだ。もしかしたら、実質的には、1年以上更新されていない「北九州市民会議」の関連イベントのようなものなのかもしれない(注2)。市長によるツイートでは、4枚の写真のうち2枚に笑顔の市長が写っていて、北九州市民会議と同様に、武内和久氏個人が主宰する市民向けセミナーのように見える。
以下はWHOによるhealthの定義。
[注]
(1)
現実的には、健康は、ある範囲の検査可能な病気の不存在として扱われるのであろう。
(2)
「北九州市アドバイザーで、ハーバード博士の林英恵さんをお迎えし、いま話題の書『健康になる技術大全』をベースに、大変興味深い講演会とトーク✨」という説明などが、Twitterで表示される140字のあとに続いていることを後で確認した。武内氏によれば、「健康は、知識だけでなく、技(ワザ)が大事」という趣旨の講演だったようだ。
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