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October 11, 2023

「稼げる街」というのが自治体の政策のビジョンを考える上でどんな意味を持っているのだろうか。

北九州市の「令和6年度予算編成方針」という文書がある。 その、2の(1)のタイトルが「新たなビジョンに沿った施策への重点化」であり、 その最初に「『稼げる街』の実現という項目が出てくる。これは、ビジョンの3つの柱の1つとして重視されているようだ。

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どの分野の施策であっても「稼げるまち」というキーワードを念頭に置き、 これに貢献する観点から事業の提案を行うこと
-- 令和6年度予算編成方針

街がどうやって稼(かせ)ぐのか?

誰が稼ぐのか?
企業? 経営者? 自営業者? サラリーマン?
誰かが稼ぐということが、トリクルダウンではなく、別の誰かの出費が増加するということにならないか?

「稼げる街」というのが、まずわからない。

主語があいまい。
街が稼ぐのか、誰が稼ぐのか、誰が「稼がれる」のか。
「稼げる街」を「経済成長」と言い換えるのもおかしい。 論理を一貫させるならば、「もっと」稼げる街ということであろう—— 「100万都市の復活」という市長選時の公約と通底する。
「成長の果実」で、「ハイクオリティなまち」を実現するというのだが、 「成長の果実」はいつ実るというのだろうか? それが実るまでは、生活や教育の改善はやらないという言い方になっていないか?

簡単にいえば、地方自治体の政策理念にはそぐわない、空疎で品のないキャッチフレーズ。

「稼げる街」や「人口百万都市の復活」が市長の公約であっても、市民は、「ポテンシャル」を収奪されないようにすべき。
「人口減少社会」で、ポテンシャルがゼロになったらおしまい。
「稼げる街」とか「人口百万都市の復活」とかに関心を奪われているうちに、「人口減少社会」への対応に遅れてしまうことが危惧される。


人の熱さ」に言及する行政文書なんて見たことがない。 行徳哲男氏の自己啓発セミナーみたいだ。
夢を語ってなにが悪い」と書かれた武内和久氏と大石仁人氏のポスターもあった。開き直った言い方を大げさに使っているが、その夢はほんとうに子供たちのための夢なのか。
子供たちにバカになれ!というメッセージを発しているが、そのうちに「若き血潮」とか言いだすのではないか。

 

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ココログで文章を書き上げてからツイートした方がよいのであろう。

最近ココログを利用しないで、X(旧Twitter)ばかり利用している。ImpressionsやRetweetsの数が増えることが楽しみになっている。

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問題点にも気づいている。Xは無料で利用しているので、文字数の制限などがあり、そのために文章が断片的になりやすい。投稿前の見直しが不十分で誤字などがあると、削除して、訂正したものを再び投稿しなければならなくなったりする。

私の場合、ココログで文章を書き上げてからツイートした方がよいのであろう。

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