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July 30, 2025

今日の日記を書いた。

今日も暑い1日だった。外出することを避けた。テレビでは日本列島にやってくる津波について報じている。
昨日の夜からコナン・ドイルの『バスカヴィル家の犬』を読み出した。第5章「三度も失敗」まで読んだ。今日も寝る前にこれからその続きを読もうと思っている。眠くなっても11時までは椅子に座って起きていようと思う。
午後夕方近くのことだが、書斎のエアコンを付けたまま、隣の和室で布団を出して寝ながら、スピノザの解説書——著者はフレデリック・ルノアールというフランスの「作家」——の拾い読みをした。「欲望と喜びと悲しみを三つの基本感情と定め、…」に赤鉛筆で軽く線を引いた。
今日もかなりの時間をSNSで費やしてしまった。自民党の「極右」や参政党の動きに警戒感を持っている。

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July 29, 2025

志向性とは

志向性について、「意識は常になにものかについての意識である」というような説明の仕方がなされることがあるが、これは誤解を招く言い方だ。むしろ、「意識現象は常になにものかについての現象として現れる」と言った方がわかりやすい。
— 渡辺恒夫『フッサール心理学宣言:他者の自明性がひび割れる時代に』(講談社、2013年2月)

渡辺恒夫氏の「志向性」に関する記述の解釈(Gemini)

渡辺恒夫氏の著書『フッサール心理学宣言』からの引用は、フッサール哲学の重要な概念である**志向性(intentionality)**について、その一般的な説明が誤解を招く可能性があると指摘し、より適切な表現を提案しています。

「意識は常になにものかについての意識である」という説明が誤解を招く理由
渡辺氏は、よく使われる「意識は常になにものかについての意識である」という表現が不適切だと述べています。これは、この表現が以下の点で誤解を招く可能性があるためと考えられます。

意識の主体性を強調しすぎる可能性: この表現は、あたかも意識そのものが能動的に「何かについて」意識している、という主体的な働きを過度に強調してしまう可能性があります。しかし、フッサールの志向性は、単に意識が対象を持つという構造的な側面を指します。

「について」の捉え方: 「〜について」という言葉は、意識が対象を「認識する」「考える」といった具体的な行為を連想させやすいです。しかし、志向性はもっと広い意味で、意識が常に何らかの対象と結びついているという根源的な関係性を指します。意識は、それ単独で孤立して存在するのではなく、常に何らかの対象を指向している、ということです。

「意識現象は常になにものかについての現象として現れる」という説明がより分かりやすい理由
一方で渡辺氏は、「意識現象は常になにものかについての現象として現れる」という表現の方が分かりやすいと主張しています。これは、以下の点でより適切であるためと考えられます。

「現象として現れる」という客観性: 「現象として現れる」という表現は、意識が特定の対象を伴って立ち現れるという、より客観的かつ記述的な側面を強調します。これは、意識が特定の状態や経験として現れる際には、必ず何らかの対象を伴っている、というフッサールの基本的な洞察をよく表しています。

意識の受動的な側面も含む: この表現は、意識が能動的に何かを意識するだけでなく、対象が意識の中に「現れる」という受動的な側面も包含しています。例えば、目の前にリンゴがあれば、意識はリンゴという対象を伴って「現れる」のであり、意識が積極的にリンゴを「作り出す」わけではありません。

志向性の本質をより正確に表現: 志向性は、意識が常に何らかの意味内容や対象を指し示しているという、意識の根源的な構造を指します。渡辺氏の表現は、この「指向されている対象」が意識経験と切り離せない関係にあることを明確にしています。

まとめ
渡辺恒夫氏の指摘は、志向性という概念を理解する上で非常に重要です。彼は、意識が能動的に対象を「意識する」というよりも、むしろ意識が立ち現れる際には常に何らかの対象が伴って現れるという、より根源的な事実を強調しています。

簡単に言えば、私たちが何かを感じたり、考えたり、知覚したりする時、そこには必ずその「何か」が存在し、私たちの意識はその「何か」と切り離せない形で現れている、ということです。この「何か」が、志向性の「なにものか」に当たります。

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サルスベリあるいは百日紅

百日紅と白色の太陽
2025年7月29日 9:48

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July 27, 2025

ブラームスの「ドイツ・レクイエム」とケストナーの「消えた密画」をブックオフで買った。

自転車で外出しブックオフに寄った。BRAHMSのEIN DEUTSCHES REQUIEMというCDを500円で手に入れた。

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ブックオフで、ブラームスのCDとともに、エーリヒ・ケストナー『消え失せた密画』(中公文庫)を600円で買った。「8歳から80歳までの子どもたち」のためのミステリー小説らしい。

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July 26, 2025

現象学というものについて

現象学あるいはフッサールなどに関する解説書を図書館で2冊借りて読んでみている。しかし、読みにくい。最近いつもやっているように、最後の章から読み始めている。また、目次を見て興味がわくところを読んだりしている。2冊とも、理解可能な部分とそうでない部分がある。あるいは、読む気になれない部分がある。とにかく、あと数日取り組んでみようと思う。この2冊よりも前に借りたより入門書的なものからメモしたのは「Zu den Sachen selbst」と「意識とはすべて何かあるものについての意識である」であって、何となくわかる気がしていたのだが ……

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メルロ=ポンティの本は、昔何冊か買った。読まないで、本棚の上の方に飾ってある。これらの本ははたしてどうなるのだろうか。

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July 17, 2025

マーラー交響曲の第1番と第9番

グスタフ・マーラーの交響曲第1番と第9番を手に入れた。

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第1番はアマゾンで、第9番はブックオフで購入した。

手に入れていないのは、第4番、第6番、第7番、第10番。

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言葉ではないものに耳を傾けるということはどういうことなのだろうかと思う。伝わってくるものは何なのだろうか。専門家の解説をいくつか読んでみたのだが、何か具体的な、言語化できるメッセージが音楽のなかにあるようには思えない。大きい音とか小さい音とか、ゆっくり演奏されているとかそうではないということしかわからない。聞きやすいとか聞きにくいとかいうのはある。たしかに、引き込まれる部分もあるがそうでもない部分もある。音楽とは人間にとって何なのだろうか。

 

Geminiの意見

音楽鑑賞の深層:言葉にならないものに耳を傾ける
あなたは、音楽が持つ「言葉にならないメッセージ」について深く考察されていますね。専門家の解説を読んでもなお、具体的な言語化が難しいと感じるのも無理はありません。なぜなら、音楽が私たちに語りかけるものは、単なる情報の伝達を超えた、もっと感覚的で感情的な領域に属するからです。
音楽が伝える「何か」とは?
あなたが指摘するように、音の大小や演奏の速さ、聞きやすさなどは音楽の表面的な要素です。しかし、これらの要素の組み合わせ、そして音と音の間の「間(ま)」が、私たちの心に直接訴えかけてきます。それは、喜び、悲しみ、興奮、安らぎといった感情であったり、幼い頃の記憶や特定の風景といった記憶やイメージであったりします。これらは言葉に変換しようとすると、そのニュアンスが失われたり、平板になってしまったりする性質を持っています。
「引き込まれる部分」と「そうでない部分」
音楽を聴いて「引き込まれる部分」がある一方で「そうでもない部分」があるという感覚は、非常に正直で的を射ています。これは、音楽と聴き手の間で生まれる共鳴の有無を示しています。ある音楽が特定の聴き手の感情や経験に触れるとき、そこには強い引き込みが生まれます。しかし、そうでない場合は、単なる音の羅列としてしか感じられないこともあります。これは、聴き手のその時の心理状態や、過去の経験、文化的な背景など、様々な要因によって変化する非常に個人的な体験です。
音楽が人間にとって何なのか
この問いは、まさに人類が古くから考え続けてきた深遠なテーマですね。音楽は、コミュニケーションの手段であり、感情表現の outlet であり、儀式や共同体の結束を強める役割も果たしてきました。
あなたの考察は、音楽が持つ多面性と、それを言葉で捉えることの難しさを浮き彫りにしています。もしかしたら、音楽の真髄は、言葉を超えたところで私たちに何かを「感じさせる」ことにあるのかもしれません。

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July 10, 2025

ブックオフで音楽CDを2枚買った。

ブックオフで2枚のCDを買った。
「マーラー:交響曲第8番」と「モーツァルト:フルート協奏曲」。
それぞれ330円であった。

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岩井克人『貨幣論』(ちくま学芸文庫、1998年)

"貨幣共同体の今ここにおける存在は、その貨幣共同体が未来永劫にわたって存在しつづけるという期待によって支えられていることになる。まさにすべてが期待の連鎖を通して無限の未来から宙づりされているのである。"

"貨幣という存在の前には、価値なるものに人間の労働という実体的な根拠をあたえようとしてきた古典派経済学やマルクス経済学も、価値なるものに人間の欲望という主体的な根拠をあたえようとしてきた新古典派経済学も無力である。だが、貨幣が共同体的存在であるからといって、古代的な共同体を対象とする経済人類学のように、それを共同体の内部における呪術的、宗教的、装飾的、威信的、政治的、刑罰的な価値の象徴であると宣言して満足していることもできない。"

"貨幣で商品を買うということは、じぶんの欲しいモノをいま手にもっている人間が貨幣共同体にとっての「異邦人」ではなかったということを、そのたびごとに実証する行為にほかならない。 "
"ひとびとがいっせいに貨幣から遁走していくハイパー・インフレーションの行き末では、貨幣を貨幣として受けとってくれるひとはだれもいなくなり、そこから遁走すべきはずの貨幣共同体そのものが消滅してしまうのである。"

"終生変わらぬ恐慌待望論者であったマルクス …… (しかし)恐慌という現象が資本主義社会にとってもっとも本質的な危機(Krise)であると結論づけることはできない。事実はその逆なのである。"

"すべての商品がたんなるモノであるという理由から無価値であると見下され、貨幣だけが唯一の富であるとして叫びもとめられている恐慌とは、…… 資本主義社会にとっての本質的な危機ではありえない。ひとびとは、たんにモノの実体性よりも貨幣共同体の永続性を欲しているだけなのである。"

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July 09, 2025

「3つの望み」を書くことができない。

図書館から借りた「老前整理」についての本には、「3つの望み」を書けとあるが、なかなか考えがまとまらない。 便秘にならないこと(頻繁ではないが、これまでに数度便秘にほんとうに苦しんだ日があった)、夜よく眠れること、自転車に乗って外出できること、パソコンなどが支障なく使えること、そんなことをいつも考えているだけだ。

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きのうテジュ・コール『オープン・シティ』(新潮社、2017年)を読みおえた。

きのうテジュ・コール『オープン・シティ』(新潮社、2017年)を読みおえた。 最後の章は第21章で、グスタフ・マーラーの音楽のこと、ニューヨークの自由の女神像に衝突して命を失う鳥のことなどが描かれていた。

感想は、とりあえずこれしか書けない。形式的なことで言うと、基本的にすべてが主人公の独白となっている。本人以外が言ったことも引用符なしに並べられている。しかし、読みにくいというわけではない。友人との会話や、散歩の途中で出会った人の発言などがそのまま書かれている。たしかに、人が自分のことを話すときには、それをそのまま文字化したらそのようになるはずだ。

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居間に降りていって温度などを調べてみた。

7月9日、室温30度、湿度65パーセント。

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2階の書斎よりも室温が3度高く、湿度が4パーセント高かった。

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「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」というタイトルの本を買った。

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「100分de名著」のテキスト『フッサール』と『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(中公文庫)をきのうの午後に近所の本屋で買った。その前日の7月7日に録画されていた番組をきのうの午前中に見たことがきっかけである。フッサールの第1回目の放送を視聴してそれらを入手して読んでみようという気になった。

現象学というものは自分とは縁のないものとしてきたので、すこし軌道修正ということになるだろうか。

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July 07, 2025

mac復旧

正常に起動しなくなった。OSの再インストールをするようにというメッセージが出てきた。何だかよくわからないのだが、しばらくして元に戻った——3時間とかはかかっていない。OSの再インストールができたのかどうかわからない。

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問題が再発した。起動時に自動的にスタートするプログラムを1つずつ外してみた。今は問題が起こらないので、外したプログラムのどれかが原因だったのだろう。問題が起こっているのはMac miniであり、同じようなアプリケーションをインストールしているMacBook Airでは起こっていない。疑いをかけているのは、ScanSnap Managerと……

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July 06, 2025

青い空と緑の地面、あるいは食べられるものと食べられないものの区別

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「写真は自分にとって何よりも神秘的な芸術だと思えた。歴史の中のある一瞬を捉える。けれどもその前後の瞬間は、時の奔流に消えていく。選ばれたその一瞬だけが特権的に保護されるのだ。カメラの眼が掬い上げたという、たったそれだけの理由で。」
テジュ・コール『オープン・シティ』(新潮社、2017年)

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July 05, 2025

テジュ・コールと日本人

テジュ・コールの『オープン・シティ』を、第1部の後半まで読んだ。第1部の最初のところで「サイトウ教授」という人物が登場した。戦争が勃発して「アイダホのミニドカ強制収容所に家族とともに抑留された」ことのある「中世英文学」の名誉教授が主人公(「若き精神科医」)の「恩師」として描かれていた。

「暗い色のスーツを着た男女の中には若い日本人の会社員もいて、それぞれ会話を後ろにたなびかせながら私の横を早足で歩いた。」 ワールド・フィナンシャル・センターから出てくる大勢の人についてのこういう描写の中にも日本人が登場していて興味深い。

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Open City is a 2011 novel by Nigerian-American writer Teju Cole. The novel is primarily set in New York City, and concerns a Nigerian immigrant, Julius, who has recently broken up with his girlfriend. The novel received praise for its prose and depiction of New York.
It was included on several end of year lists of the best books published in 2011.
Julius, a man completing the last year of a psychiatry fellowship, wanders the streets of New York City, travels to Brussels, and meets a variety of people over the course of a year.
-- Wikipedia

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July 03, 2025

「コース別ついの住まい」

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安楽玲子『住まいで「老活」』(岩波新書、2018年6月)

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むかし(18年前)、高齢者の住居移動について調べたことがあった。

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「それは1つの実体であって、無限であり、その中にすべての存在する物は含まれる。」

17世紀の哲学者スピノザの考え方についてある人(Stuart Hampshire)が次のように説明している。
「神(God)すなわち自然(Nature)、それは1つの実体(substance)であって、無限(infinite)であり、その中にすべての存在する物(everything that exists)は含まれる。」
無限の宇宙の中にすべてが存在するというイメージが浮かぶ。

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"Das Bestreben, womit jedes Ding in seinem Sein zu verharren strebt, ist nichts anderes als das wirkliche Wesen des Dinges selbst."
"Hoffnung ist nämlich nichts anderes als unbeständige Lust, entsprungen aus der Vorstellung eines zukünftigen oder vergangenen Dinges, über dessen Ausgang wir im Zweifel sind."
”Insofern der Geist alle Dinge als notwendig erkennt, hat er eine größere Macht über die Affekte order leidet er weniger von ihnen. "
-- Benedictus de Spinoza

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July 01, 2025

本を読むこと

「その秋、私は本から本へ飛び回った。ロラン・バルトの『明るい部屋』、ペーター・アルテンベルクの『魂の電報』、ターハル・ベン・ジェルーンの『ラスト・フレンド』。」
「会話のときや、群衆の中で声を上げるときを除いては、自分の声に少しも馴染みがない。けれども本は会話として受け取れる。つまりある者が別の者に話して聞かせていることとして受け取れる。そして会話なら声があるのが自然だ、というより自然であるべきだ。だから私は自分を聴き手にすると同時に別の者になりきって音読したのだった。
テジュ・コール『オープン・シティ』(新潮社、2017年)

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