G. ドゥルーズ『スピノザ:実践の哲学』(平凡社ライブラリー)という本について
"Das Bestreben, womit jedes Ding in seinem Sein zu verharren strebt, ist nichts anderes als das wirkliche Wesen des Dinges selbst."[おのおのの物が自己の有に固執しようと努める努力はその物の現実的本質にほかならない(畠中尚志訳)。『エチカ』第3部「感情の起源および本性について」の定理第7として出てくる。]
-- Benedictus de Spinoza

スピノザの『エチカ』は、日本語(岩波文庫の畠中尚志訳)と英語(ペンギンブックスのEdwin Curley訳)で何度か読んだ——レクラム文庫のラテン語ドイツ語対訳版もときどきのぞいている(最初の画像)。日本語よりも英語の方が理解しやすい場合もあり、また、スピノザはドイツ語ではなくラテン語で書いたわけだが、文法の特徴から、文の構造がペンギンブックスの英訳よりもレクラム文庫版の独語訳の方が見えやすいということがある。
読むきっかけとなったのは、2018年12月にNHK教育テレビの「100分de名著」の放送(国分功一郎氏がゲスト)を見たことであった。解説書は何冊ももっている。その中の1つが、ジル・ドゥルーズのものである。
ジル・ドゥルーズの『スピノザ:実践の哲学』(平凡社ライブラリー)は、スピノザ哲学を「観念論」や「認識論」としてではなく、生を肯定的に捉える「実践的な哲学」として読み解くことを目的とした著作です。ドゥルーズは、スピノザの主著『エチカ』を、感情や身体の力、そしてそれらを通じていかにして自由へと至るかを探求する「実践の書」として再解釈します。
この哲学の核心は、「身体の力(能力)」と「情動(affect)」の概念にあります。ドゥルーズにとって、身体は単なる物質ではなく、外界の様々なものと関係を結び、自己の活動能力(potestas)を増減させる場です。この活動能力の増減こそが「情動」であり、それは喜び(喜びの情動)と悲しみ(悲しみの情動)として現れます。喜びとは、身体の活動能力が増大する状態であり、悲しみとは、それが減少する状態です。
(途中省略)
『スピノザ:実践の哲学』は、スピノザの難解な概念を、我々の生に直結する力動的なものとして捉え直し、哲学を抽象的な思弁から解放し、生きるための具体的なツールとして提示しています。ドゥルーズは、スピノザを「生を肯定する思想家」として位置づけ、彼の哲学が持つ現代的な意義を鮮やかに浮き彫りにしています。
(Geminiの回答)
Geminiという生成AIの解説は、日本語版の訳者鈴木雅大氏による巻末の解説よりもわかりやすい。何ということなのであろうか。参考にした資料を尋ねてみたら以下のようであった。わかりやすい説明なのでいいのだが、ソースを示してくれないのでがっかりした。ソースにあたって自分で確認することができない。(Perplexityでは、それが可能であるが、信頼できる資料が参照されているかどうかは別である。)
GeminiとのやりとりをGoogleのNotebookLMに読み込ませたところ、以下のような説明が出てきた。このブログのタイトルの下に掲げたスピノザからの引用文も参照していた。NotebookLMでは、「マインドマップ」などを作成することができる。
ドゥルーズの『スピノザ:実践の哲学』は、スピノザを「生を肯定する思想家」として位置づけ、彼の哲学が持つ現代的な意義を鮮やかに浮き彫りにしています。スピノザ哲学は、観念論や認識論としてではなく、身体の力と情動の分析を通じて、いかにして能動的に自己の活動能力を増大させ、喜びを追求し、最高の生へと至るかを探求する「生きるための具体的なツール」として提示されています。スピノザの「Wir sind nur ein Teil der Natur, deren Ordnung wir folgen.」(私たちは自然の一部に過ぎず、その秩序に従う)という言葉は、この実践的な哲学の根底にある、自己を自然の一部として捉え、その秩序の中でいかに能動的に生きるかという視点を象徴しています。
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