Literature

May 25, 2024

小笠原豊樹氏の翻訳

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今日小倉駅のそばのセントシティに行った。喜久屋書店で文庫版の本を3冊買った。 その1つが、レイ・ブラッドベリ『刺青の男』(ハヤカワ文庫)である。 その訳者は、小笠原豊樹という人である。 この人は、実にたくさんの本を翻訳している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/岩田宏

村上春樹氏の翻訳したものはほとんど読んでしまったので——最後に読んだのはカーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』(新潮文庫)——、次にこの人の訳したものに取り組もうと思っている。 この人は、知っている人は知っているのだが、岩田宏という詩人でもあった。本名は、小笠原豊樹であったようだ。

ブラッドベリの本も、『刺青の男』以外に『火星年代記』なども訳している。

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https://raybradbury.com

翻訳家・小笠原豊樹さん死去…岩田宏の名で詩も

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January 20, 2024

Abschiedsfarben

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ベルンハルト・シュリンク『別れの色彩』(松永美穂 訳、新潮社)を読み終えた。 訳者の松永美穂さんは、「別れ」というよりも「老い」がテーマになっていると「訳者あとがき」に書いている。そうだと思う。老人になると自分の人生で経験した色々な別れが思い出されてくるわけだ。

短編が9本あり、それぞれがさまざまな別れを扱っているのだが、テレビの海外ドラマを見ているときのようで、描かれている状況が自分の人生と同じようだと感じるところはあまりない。著者の人生と自分の人生とがかなり違ったものであるためなのであろう。しかし、9篇の小説は自分の人生を振り返るきっかけを与えてくれている。少なくとも、自分が経験したさまざまな別れについて考えてみることを正当化する役割を果たしている。

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September 05, 2023

私立探偵フィリップ・マーロウ

最近、レイモンド・チャンドラーの作品を読んでいる。最初に『ロング・グッドバイ』を読み、その次に『大いなる眠り』を読んだ。いま『リトル・シスター』の3分2あたりを読んでいる。すべて村上春樹氏の翻訳である。アメリカの都市の風景や建物の中の様子、人々の行動、表情についての描写が非常に綿密に行われていることが印象的な文章である。

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September 01, 2023

The Swimmer

He tried the garage doors, to see what cars were in, but the doors were locked and rust came off the handles. Going toward the house, he saw that the force of the thunderstorm had knocked one of the rain gutters loose. It hung down over the front door like an umbrella rib, but it could be fixed in the morning. The house was locked, and he thought that the stupid cook or the stupid maid must have locked the place up, until he remembered that it had been some time since they had employed a maid or a cook. He shouted, pounded on the door, tried to force it with his shoulder, and then, looking in at the windows, saw that the place was empty. ♦
https://www.newyorker.com/magazine/1964/07/18/the-swimmer
The Swimmer, short story by John Cheever, published in The New Yorker (July 18, 1964) and collected in The Brigadier and the Golf Widow (1964). A masterful blend of fantasy and reality, it chronicles a middle-aged man’s gradual acceptance of the truth that he has avoided facing—that his life is in ruins.
Written and fact-checked by The Editors of Encyclopaedia Britannica

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July 15, 2023

ユーモアと優しさをもってしか語れない絶望や暗転がある。

「モラリティをもってしないと描ききれない非モラルな状況があります。アイロニーをもってしか語れない幸福や安寧があり、ユーモアと優しさをもってしか語れない絶望や暗転がある。」

『巨大なラジオ/泳ぐ人』(ジョン・チーバー著、村上春樹訳、新潮社発行)の「解説対談」(対談の相手は柴田元幸氏)で村上春樹氏がその最後に語っているこの言葉は、自分自身の創作についてだが、チーバーの短編小説にも当てはまることとして語られているのであろう。「非モラルな状況」を描くにはモラリティという枠組みが必要であり、完全な「幸福や安寧」は存在せず、「絶望や暗転」の中に人間の無力と滑稽さを見ることができるということだろうか。

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訳書の最終章は「なぜ私は短編小説を書くのか?」というタイトルで、その中でチーバーは、「我々が経験によって支配されている限り、そしてその経験が強烈さと挿話的性質によって特徴付けられている限り、我々は短編小説というものを文学の中に含め続けるだろうし、言うまでもないことだが、文学がなければ我々は滅びてしまうだろう」と書いている。時間をつぶして小説を読むことを正当化してくれているようで、励まされる気がする。「文学がなければ我々は滅びてしまうだろう」という言葉にも何だか説得力がある。

村上春樹氏の訳で出てくる「挿話的」という言葉がよく分からない。anecdotalのことではなく、episodicのことなのであろう。行間を読むならば、「その人にとって重要な出来事の勃発と展開、結末」ということではないだろうか。村上春樹氏が訳したチーバーの短編小説集を「巨大なラジオ」から「シェイディ・ヒルの泥棒」まで毎晩1編ずつで8編読んでみて——残りはあと11編——、そのように考えた。「挿話」という言葉は、「挿入された話」ということだろうから、辞書で調べるとepisodeの原義のままであり、日本語としてはあまり意味をなさない。episodeを挿話に置き換えるだけでは不十分であるように思う。

翻訳というのはたいへんに厄介な作業であるから、翻訳に取り組んでくれたことに感謝する気持ちは変わらない。ジョン・チーバーという作家のすばらしさを村上春樹氏の訳で味わうことができて満足している。


John Cheever

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June 18, 2023

バーナード・マラマッドの「レンブラントの帽子」を読んで

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数時間前に本の写真だけを載せて「これから書きます。何かについて反省する記事になりそうな予感がします」と書いておいたが、書き始めてみると書きようがない。ニューヨークの美術学校に勤務するルービンとアーキンの話。感銘を受けなかったのではなく、身につまされる話であったという事情である。夏葉社発行の本の帯には、「マルマッドの最高傑作である/ 表題作ほか/ 引出しの中の人間/ わが子に殺される/ の2篇を収録」と書かれている。「レンブラントの帽子」は、マルマッドの最高傑作と評価されているようだ。2番目の「引出しの中の人間」では抑圧的な体制の下での作家の生き方が米国からの旅行者の目からスリリングに描かれているが、「レンブラントの帽子」の方は、日常的な、美術学校の同僚の間でのやりとりが描かれている。ルービンは、彫刻家であり、アーキンは、「美術史家」である。

私の周りにもルービンがいるかもしれない。私も、自分の能力や実績に不満を持っているルービンかもしれない。私は、アーキンのように相手のことを理解できるかどうかわからない。他者を理解しようとする余裕が、状況によってはどれだけあるものなのだろうか。だが、レンブラントが偉大な画家であるという発想を排除してしまえば、ルービンもアーキンも仲違いをする必要がなかったのではないか。それは、夜郎自大というもので無理なことなのだろうか。

作者バーナード・マラマッドが、レンブラントの絵を高く評価していたということは推測できる——レンブラントの絵(帽子を被った自画像)を私も美術館で見てみたい。和田誠氏が装丁を担当した本の表紙だけでなく。ルービンが被っていた帽子を見て、アーキンがその絵に言及したことが仲違いのきっかけという筋になっている。何も起こらない場合には、物語にならないので、小説の中にレンブラントの絵を登場させる必要があったのであろう。

意味のない感想になってしまった。「文学を考えるうえでマラマッドはたいせつな世界をもっていた」という荒川洋治氏の「巻末エッセイ」での評価に同意する。


追記:
ChatGPT君に「レンブラントの帽子」について感想を尋ねてみたら、まったくでたらめであった。そもそも登場人物の名前が違っていた。トレーニング・データが不完全なのだろうか。それとも、そそっかしい性格なのだろうか。

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June 16, 2023

村上春樹『職業としての小説家』(新潮文庫)あるいは「民主主義の学校」について

2日前に本屋で、雑誌の棚で面陳列されている『世界』7月号の表紙の「狂騒のChatGPT」という特集に目が行った。雑誌を手にし、清算前の本を入れるプラスティック製の緑色の小さな籠にそれを入れ、籠を持って店内を移動した。雑誌のコーナーには、月刊Hanadaと月刊WiLLが平積みで2山ずつ、うずたかく並べられていて、それらの表紙に縦に並んでいる大きな文字のメッセージにいつも違和感を感じながら通り過ぎる。文庫の棚で、背差しになっている『職業としての小説家』も籠に入れた。本屋は、自宅から自転車で15分程度のところにある小規模の複業商業施設の2階にある。最初から目的地と買う物を決めて出かけたわけではない。雨の日は除いて、毎日自転車に40分程度乗ること自体が目的であるので買い物をするときもあるし、しないときもある。

私は、村上春樹の熱心な読者ではない。彼の小説はたぶん1編しか読んだことがないと思う。その小説の名前を思い出すこともできない。しかし、今回、平成28年10月1日発行と奥付に書いてあるものを読み始めた。そのきっかけは、村上春樹・柴田元幸『本当の翻訳の話をしよう・増補版』(新潮文庫)を11日前に同じ本屋で買って読んでいて、海外の小説や翻訳のことが取りあげられていて面白かったので、そこに紹介されている小説を自分も読んでみようかと思っていたことである。しかし、本屋の文庫の棚には、読んでみようと思ったものがなかったので、しかたなく、村上春樹氏の『職業としての小説家』を棚から抜いてレジに持っていった。

既に、赤鉛筆で文字にかかるように太い線を引いた部分がいくつもある。それをまず書き抜いてみようと思う。

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書き下ろしの長編小説を書くには、1年以上(2年、あるいは時によっては3年)書斎にこもり、机に向かって1人でこつこつと原稿を書き続けることになります。朝早く起きて、毎日5時間から6時間、意識を集中して執筆します。 ...... 毎日だいたい1時間は外に出て運動をします。そして翌日の仕事に備えます。(pp. 182-183)
毎日5時間か6時間、机の上のコンピュータ・スクリーンの前に ...... 一人きりで座って、意識を集中し、物語を立ち上げていくためには、並大抵ではない体力が必要です。(p.186)
毎日朝早く目覚めて、コーヒーを温めて大きなマグカップに注ぎ、そのカップを持って机の前に座り、コンピュータを立ち上げます ...... 。そして、「さあ、これから何を書こうか」と考えを巡らせます。そのときは本当に幸福です。ものを書くことを苦痛だと感じたことは一度もありません。(p. 59)

このような文章を読んで、小説家ではない私も、同じような「仕事」のスタイルになってきていることに気づいた。たしかに、村上春樹氏と同じような幸福感を意識することが私にもあるのである。夜にどんな悪夢を見たとしても、朝無事に小さな書斎でパソコンのディスプレイとキーボード、マウスを置いた机の前に座ることができたとき、自分が考えていることをキーボードのキーを押して画面に並べることをしているとき、幸福感あるいは満足感を味わうことができるのである。

ただし、私の場合、binge writingとかいうスタイルのようにも思える。例えば、最近について言えば、先週の水曜日(9日前)に「まちづくり協議会の構成と役員」というタイトルでココログに記事を書き始めてから、ほとんど他のことは何もしないで、2年前に集めた資料を調べたり、インターネット上の情報を集めたりして加筆修正をやっている。村上春樹氏のように、仕事は1日6時間までとか決めておいた方がよいのかもしれない。

「まちづくり協議会の構成と役員」というタイトルで書き始めた私の「作品」は、「『まちづくり協議会』の新役員が選出されたことを『市民センターだより』(6月1日号)で知って考えたこと」というタイトルに変化した。取りあげている団体の関係者からの返答はまだない。2年前にも同じようなことを文書に書いて渡したのだが、無視された形になっていた——ここでは触れないが「自治連合会会費及び社会福祉協議会会費一部返納」は実施された。今回は、「市民センターだより」を読んだことがきっかけで、2年前のテーマを思い出し、復活させた。関係資料は、Evernoteの中に詰まっていた。最新の情報をGoogleで検索することはやったが、人間のように堂々と嘘をつくことがあるChatGPTに頼ったところはない()。

色々なきっかけでやることや考えることが変わっていくのだということを実感する。町内会に組と班とがある。制度的にも日常生活においても、およそ5世帯が所属する班は、「緊急連絡網」で確認することができるが、ほとんど意味をなしていない。役職は、ローテーション表に従って、会長と会計を組単位で引き受けるルールである。2021年度は、私たちの組に会長と会計とが当たる年度であった。組長、会計、会長のどれかを引き受けることになっていて、私が会計を引き受けることになった。

もし、会計をやることにならなければ、そして、収支の赤字がずっと続いてきていることが問題視されていなければ——4月に受け取った町内会名義の預金通帳には約184万円の残高があった——、町内会が毎年度拠出する「自治連合会会費及び社会福祉協議会会費」(約11万円)のことなどに関心を持つことがなかったはずである。

また、「校区3団体」の運営され方の不透明さに気づくこともできなかったはずである。例えば、この「上部」団体の決算報告は、単位町内会で配られたりすることはなく、回覧版で回されることもない。そのような団体では、「住民主体」とか「住民から構成されている」とかいうキャッチフレーズがしばしば使われるのであるが。 数日前に文章の中で「民主主義の学校」という歯が浮きかねない言葉を強引に使うチャンスに巡りあえたのもこの流れの中でである。

2年前の2021年度に町内会の会計の役職を引き受けることになったおかげで、私は、いまこの文章を書いている。文庫本の『職業としての小説家』という本の感想を書こうとして書き始めた文章なのだが、いつの間にか、自分が最近取り組んでいたことを書くことになっている。


[注]

正直に言うと、「非営利組織における役員手当」についてChatGPTに質問してみたことはある。知ったかぶりのChatGPTの、大胆な嘘かもしれない回答は以下の通り。

非営利組織における役員手当は、一般的ではありません。多くの非営利組織では、役員が無給またはボランティアとして活動しています。これは、非営利組織が社会的な目的の達成や公共の利益の追求を優先するためです。(ChatGPTの回答)

この考え方を受け入れるならば、市政連絡事務委託料や県広報紙配付委託料は、会計処理の透明化という観点からは、予算の収入として計上すればいいことで、支出項目に「役員手当」の明示が必要だという問題ではない、ということになる。

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April 30, 2023

「自分が体験した感動や悲しみを伝えていく」

少し前に本間龍さんの本を読んだ。
本間龍『転落の記:私が起こした詐欺事件、その罪と罰』(飛鳥新社、2012年1月)である。
その中に次のように書いてあって、これは、本間龍さんだけのことではなく誰にでも当てはまることではないかと思った。

私がこの目で見たものは、私にしか表現できない。だから出来うるなら、私は自分が体験した感動や悲しみを伝えていく仕事をしたいと考え、本を書くことを目標に再び歩み出した。 (247ページ)

誰でも本を書くことができるというわけではないが、「自分が体験した感動や悲しみを伝えていく」ということは、誰でもそれぞれのやり方でやっていくべきなのだろうと思った。

刑務所に収容されたりすることは、誰でも経験できることではないが、「極限状況」に近いことを経験することはあるだろう。少なくとも、主観的には。

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November 21, 2020

Why I Write

 オーウェルのWhy I Writeを読みなおしてみた。冒頭の文は以下の通り。

 "From a very early age, perhaps the age of five or six, I knew that when I grew up I should be a writer."

 次のような記述がある。

"Before he ever begins to  write he will have an emotional attitude from which he will never completely escape."

 しかし、自分のパーソナリティを「消し去る」必要があるということも最後の部分で書いている。

"One can write nothing readable unless one constantly struggles to efface one’s own personality."

 

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November 02, 2020

mere goodness

Before I went to bed last night I read "Salvatore the Fisherman's Son" by Somerset Maugham (from the short story collection "Cosmopolitans"). The short story ended with a sentence about the "mere goodness" of an ordinary Italian fisherman who goes through a lot of painful things.

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