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January 03, 2025

インターネットをどう利用するか。

しばらく前に、Googleの検索で出てこないサイトは存在しないのと同じというような説明を読んだことがある。 自分が何かを書いていて、それがGoogle検索に引っかからないとがっかりするはずだ。 検索結果の1ページ目に出てくると自分の虚栄心を満足させることができる。 Xの場合、ImpressionsとLikesの数が気になる。これらが多いとうれしくなってしまう。私の場合、一銭の得にもならないのだが。

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ユーチューブは利用する気になれない。ときどき見ることはあるが、自分で顔を出したりしようとは思わない。 TikTokとかいうのも同様だ。 ただし、Keynotesで作成したスライドを動画に変換すれば、ユーチューブでそれを紙芝居のようにして見せるということは試してみていいかもしれない。

いま主に使っているのは、ココログとnoteだ。その2つが気に入っている。 正確に言えば、noteよりもココログの方が気に入っている。 シンプルなデザインを選択できることと、HTML言語で編集できることが、その理由だ。「ハイパーテキスト」という形式を実行しやすいということも メリットとしてある。 将来的には、noteをやめてココログだけにすることを考えている。ココログは、もう21年間も、2003年12月から使っている。

Xをいつまで使い続けるかはまだ決めていない。 コミュニケーション・ツールとして便利なのだが、時間を費やしすぎているという反省がある。 イーロン・マスクが勝手に仕様を変えたりできるものを使っている気になれないということもある。 引っ越し先としてBlueskyにアカウントを作ったのだが、コミュニケーション・ツールとしては、利用者が限られているので問題がある。 少しずつ引っ越しをするしかないだろう。 もし、Xでいなくなったと思ったら、Blueskyの方でさがしてほしい。

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December 28, 2024

「市場の失敗」と「政府の失敗」にどう対処するか。

「市場の失敗」に対処するために市場と私有財産制度を廃棄しなければならないという主張が誤りであるのと同様に、「政府の失敗」に対処するために政府の規模を小さくしなければならないという主張は、誤りである。「市場の失敗」が認められるのであれば、市場経済を有効に機能させる制度を整備する必要がある。「政府の失敗」が認められるのであれば、政府の活動が適切におこなわれるようにする制度を整備する必要がある。
— 正村公宏『経済が社会を破壊する:いかにして人間が育つ社会をつくるか』(NTT出版、2005年)

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December 21, 2024

図書館で借りた1冊の本のタイトルは「芸術とはどういうものか」。

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三浦つとむという名前には、10代の最後ごろに出会ったはずだ。その著者が書いた新書版の本を2冊か3冊買ったことがあると記憶している。当時は、その文体や「哲学的」な論理になじめなかったように思う——今でも「弁証法」という言葉が出てくると途端に理解不能になってしまう。その1つがハードカバーで図書館の棚にあったので、借り出してみた。「あとがき」を亀井秀雄という国文学者が書いていた。いま、それを読んでみたところである。

亀井氏は2016年に亡くなっていることをWikipediaの記述から知ったが、氏のエッセイが公開されていることがわかった。
この世の眺め:亀井秀雄のアングル

「在野の理論家」であった三浦つとむ氏が亡くなったのは、1989年10月27日であると、借りてきた本の最後の著者紹介のところに書いてあった。

目を通してみての感想だが、亀井氏が三浦氏を「日本で最初の自立したマルクス学者」と評しているように、教条主義や権威主義に陥ることを拒否した理論家だったのだろうと思う。芸術についてなされてきた議論の理解を助けてくれる説明がある。しかし、「未来の(理想)社会でもけっして芸術は消滅しないばかりか、現在よりもっとさかんになるものと考えてよい」という文などに接すると、予見できないはずのことを予見しようとしているという印象を受ける。おそらく、芸術論も言語論も、三浦氏が依拠した「マルクス学」や「唯物論」、「弁証法」などの枠組みを超えたところで展開されるべきなのだろう。

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December 14, 2024

われらのスピノザ

「ぼくたちの意志に左右されないものはそのままに受けいれ、ぼくたちの意志にまかされていることをおこなう。それはスピノザ主義の精神である。つまり、認識し、理解し、行動する。」
— アンドレ・コント=スポンヴィル『哲学はこんなふうに』(木田元ほか訳、河出文庫、2022年)

17世紀の哲学者スピノザの考え方についてある人が次のように説明している。
「神(God)すなわち自然(Nature)、それは1つの実体(substance)であって、無限(infinite)であり、その中にすべての存在する物(everything that exists)は含まれる。」
宇宙の中にすべてが存在するというイメージが浮かぶ。

『心は孤独な狩人』(新潮文庫、村上春樹訳)という小説を読んでいた。コープランドという黒人医師が「椅子の脇の床に置いた一冊の本を取りあげ」、スピノザを読み出す描写がある。1930年代後半のアメリカ南部の小さな街でおこる出来事をカーソン・マッカラーズという女性作家が描いたもの。

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「スピノザを初めて読んだときは、生涯で最も記念すべき経験だった。何だか高い山脈を目にしたときのような高揚した気分で満たされた。」
モーム『サミング・アップ』(行方昭夫訳、岩波文庫)

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December 05, 2024

ウェブログ(ココログ)以外にnoteを利用している。

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https://note.com/mbrmghm/

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特定のトピックスについてマガジンとしてまとめる形で書いている。こうしておくと、過去に書いたものを取り出しやすい。たとえば門司港関係のことは以下のマガジンにまとめている。
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複合公共施設整備と初代門司港駅遺構

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May 24, 2024

キーボード、図書館、大型書店

2024年5月24日金曜日の朝。平日に椅子に座って、コーヒーを飲みながら、HHKBのキーボードのキーを押すことをできることの幸せ。

小倉南図書館がもっと自宅の近くにあればいいのだがと思う——サイクリング・ディスタンスで30分ぐらいだろうか。ブックオフで最近買った佐高信『文学で社会を読む』(岩波現代文庫)で取りあげられている小説を、図書館で借りて読んでみようと思っている。

しかし、小倉北区に行けば喜久屋書店とクエスト小倉本店があることは、北九州市に住むことの魅力の小さからぬ部分を構成する。もしも、両方の本屋がなくなったら、私は、北九州市に住み続けようとは思わない。

自分についていえば、旦過市場も、小倉城も、北九州市の魅力を構成するものではない。(付言すれば、中央図書館は、その建物も含めてすばらしい。コンサル上がりの武内市長が「稼げる図書館」とか言いださないことを祈っている。)

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January 13, 2024

高齢者講習

きのう自動車学校に行き、2時間の「運転免許取得者等教育(高齢者講習同等)」を受講し、修了証明書を受け取った。「認知機能検査」は、すでに去年の12月27日に受けている。

講習の中で、動体視力、夜間視力の検査があった。「静止視力」は1.2であったが、動体視力については「やや劣っている」、夜間視力については「ふつう」という結果であった。

自動車学校は自宅から自転車で20分もかからない距離にある。自転車で往復した。

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May 27, 2023

noteのマガジン

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May 13, 2023

利用しないまま放置していたサイトのトップページを編集した。

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2014年4月以来9年間利用しないまま放置していたサイトのトップページをようやく削除し、サイトマップであったものを手なおしてそれに代えた。

社会学とその方法のオンライン研究室

最近はnote.comをよく使うが、PDFファイルなどを置く場所としては普通のウェブサイトが便利であろうから、このサイトは削除しないで維持していこうと思っている。1998年に開設したもの。このブログは2003年末であるから、これよりも古い。

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April 22, 2023

重要な変更

noteの自己紹介のところに自分のブログのURLを入れた。

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