misc.

September 13, 2025

Spinozaでドイツ語に親しもう

"Das Bestreben, womit jedes Ding in seinem Sein zu verharren strebt, ist nichts anderes als das wirkliche Wesen des Dinges selbst."

"Es liegt in der Natur der Vernunft, die Dinge als wahr zu erfassen, nämlich wie sie an sich sind, d. h. nicht als zufällig, sondern als notwendig."

"Insofern der Geist alle Dinge als notwendig erkennt, hat er eine größere Macht über die Affekte order leidet er weniger von ihnen."

"Hoffnung ist nämlich nichts anderes als unbeständige Lust, entsprungen aus der Vorstellung eines zukünftigen oder vergangenen Dinges, über dessen Ausgang wir im Zweifel sind."

"Wir sind nur ein Teil der Nature, deren Ordnung wir folgen."


In Spinoza's philosophy, **the endeavor by which each thing strives to persevere in its being is considered nothing other than the very essence of the thing itself**. Human reason, by grasping things not as contingent but as necessary, gains greater power over the affects and suffers less from them, thus being able to control them more strongly. For example, **hope is nothing other than unstable joy, born from the idea of a future or past thing, about whose outcome we are in doubt**. Ultimately, the recognition that **we are only a part of Nature, whose order we follow**, leads to inner peace.

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September 10, 2025

G. ドゥルーズ『スピノザ:実践の哲学』(平凡社ライブラリー)という本について

"Das Bestreben, womit jedes Ding in seinem Sein zu verharren strebt, ist nichts anderes als das wirkliche Wesen des Dinges selbst."[おのおのの物が自己の有に固執しようと努める努力はその物の現実的本質にほかならない(畠中尚志訳)。『エチカ』第3部「感情の起源および本性について」の定理第7として出てくる。]
-- Benedictus de Spinoza

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スピノザの『エチカ』は、日本語(岩波文庫の畠中尚志訳)と英語(ペンギンブックスのEdwin Curley訳)で何度か読んだ——レクラム文庫のラテン語ドイツ語対訳版もときどきのぞいている(最初の画像)。日本語よりも英語の方が理解しやすい場合もあり、また、スピノザはドイツ語ではなくラテン語で書いたわけだが、文法の特徴から、文の構造がペンギンブックスの英訳よりもレクラム文庫版の独語訳の方が見えやすいということがある。

読むきっかけとなったのは、2018年12月にNHK教育テレビの「100分de名著」の放送(国分功一郎氏がゲスト)を見たことであった。解説書は何冊ももっている。その中の1つが、ジル・ドゥルーズのものである。

ジル・ドゥルーズの『スピノザ:実践の哲学』(平凡社ライブラリー)は、スピノザ哲学を「観念論」や「認識論」としてではなく、生を肯定的に捉える「実践的な哲学」として読み解くことを目的とした著作です。ドゥルーズは、スピノザの主著『エチカ』を、感情や身体の力、そしてそれらを通じていかにして自由へと至るかを探求する「実践の書」として再解釈します。
この哲学の核心は、「身体の力(能力)」と「情動(affect)」の概念にあります。ドゥルーズにとって、身体は単なる物質ではなく、外界の様々なものと関係を結び、自己の活動能力(potestas)を増減させる場です。この活動能力の増減こそが「情動」であり、それは喜び(喜びの情動)と悲しみ(悲しみの情動)として現れます。喜びとは、身体の活動能力が増大する状態であり、悲しみとは、それが減少する状態です
(途中省略)
『スピノザ:実践の哲学』は、スピノザの難解な概念を、我々の生に直結する力動的なものとして捉え直し、哲学を抽象的な思弁から解放し、生きるための具体的なツールとして提示しています。ドゥルーズは、スピノザを「生を肯定する思想家」として位置づけ、彼の哲学が持つ現代的な意義を鮮やかに浮き彫りにしています。
(Geminiの回答)

Geminiという生成AIの解説は、日本語版の訳者鈴木雅大氏による巻末の解説よりもわかりやすい。何ということなのであろうか。参考にした資料を尋ねてみたら以下のようであった。わかりやすい説明なのでいいのだが、ソースを示してくれないのでがっかりした。ソースにあたって自分で確認することができない。(Perplexityでは、それが可能であるが、信頼できる資料が参照されているかどうかは別である。)

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GeminiとのやりとりをGoogleのNotebookLMに読み込ませたところ、以下のような説明が出てきた。このブログのタイトルの下に掲げたスピノザからの引用文も参照していた。NotebookLMでは、「マインドマップ」などを作成することができる。

ドゥルーズの『スピノザ:実践の哲学』は、スピノザを「生を肯定する思想家」として位置づけ、彼の哲学が持つ現代的な意義を鮮やかに浮き彫りにしています。スピノザ哲学は、観念論や認識論としてではなく、身体の力と情動の分析を通じて、いかにして能動的に自己の活動能力を増大させ、喜びを追求し、最高の生へと至るかを探求する「生きるための具体的なツール」として提示されています。スピノザの「Wir sind nur ein Teil der Nature, deren Ordnung wir folgen.」(私たちは自然の一部に過ぎず、その秩序に従う)という言葉は、この実践的な哲学の根底にある、自己を自然の一部として捉え、その秩序の中でいかに能動的に生きるかという視点を象徴しています
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July 30, 2025

今日の日記を書いた。

今日も暑い1日だった。外出することを避けた。テレビでは日本列島にやってくる津波について報じている。
昨日の夜からコナン・ドイルの『バスカヴィル家の犬』を読み出した。第5章「三度も失敗」まで読んだ。今日も寝る前にこれからその続きを読もうと思っている。眠くなっても11時までは椅子に座って起きていようと思う。
午後夕方近くのことだが、書斎のエアコンを付けたまま、隣の和室で布団を出して寝ながら、スピノザの解説書——著者はフレデリック・ルノアールというフランスの「作家」——の拾い読みをした。「欲望と喜びと悲しみを三つの基本感情と定め、…」に赤鉛筆で軽く線を引いた。
今日もかなりの時間をSNSで費やしてしまった。自民党の「極右」や参政党の動きに警戒感を持っている。

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July 29, 2025

志向性とは

志向性について、「意識は常になにものかについての意識である」というような説明の仕方がなされることがあるが、これは誤解を招く言い方だ。むしろ、「意識現象は常になにものかについての現象として現れる」と言った方がわかりやすい。
— 渡辺恒夫『フッサール心理学宣言:他者の自明性がひび割れる時代に』(講談社、2013年2月)

渡辺恒夫氏の「志向性」に関する記述の解釈(Gemini)

渡辺恒夫氏の著書『フッサール心理学宣言』からの引用は、フッサール哲学の重要な概念である**志向性(intentionality)**について、その一般的な説明が誤解を招く可能性があると指摘し、より適切な表現を提案しています。

「意識は常になにものかについての意識である」という説明が誤解を招く理由
渡辺氏は、よく使われる「意識は常になにものかについての意識である」という表現が不適切だと述べています。これは、この表現が以下の点で誤解を招く可能性があるためと考えられます。

意識の主体性を強調しすぎる可能性: この表現は、あたかも意識そのものが能動的に「何かについて」意識している、という主体的な働きを過度に強調してしまう可能性があります。しかし、フッサールの志向性は、単に意識が対象を持つという構造的な側面を指します。

「について」の捉え方: 「〜について」という言葉は、意識が対象を「認識する」「考える」といった具体的な行為を連想させやすいです。しかし、志向性はもっと広い意味で、意識が常に何らかの対象と結びついているという根源的な関係性を指します。意識は、それ単独で孤立して存在するのではなく、常に何らかの対象を指向している、ということです。

「意識現象は常になにものかについての現象として現れる」という説明がより分かりやすい理由
一方で渡辺氏は、「意識現象は常になにものかについての現象として現れる」という表現の方が分かりやすいと主張しています。これは、以下の点でより適切であるためと考えられます。

「現象として現れる」という客観性: 「現象として現れる」という表現は、意識が特定の対象を伴って立ち現れるという、より客観的かつ記述的な側面を強調します。これは、意識が特定の状態や経験として現れる際には、必ず何らかの対象を伴っている、というフッサールの基本的な洞察をよく表しています。

意識の受動的な側面も含む: この表現は、意識が能動的に何かを意識するだけでなく、対象が意識の中に「現れる」という受動的な側面も包含しています。例えば、目の前にリンゴがあれば、意識はリンゴという対象を伴って「現れる」のであり、意識が積極的にリンゴを「作り出す」わけではありません。

志向性の本質をより正確に表現: 志向性は、意識が常に何らかの意味内容や対象を指し示しているという、意識の根源的な構造を指します。渡辺氏の表現は、この「指向されている対象」が意識経験と切り離せない関係にあることを明確にしています。

まとめ
渡辺恒夫氏の指摘は、志向性という概念を理解する上で非常に重要です。彼は、意識が能動的に対象を「意識する」というよりも、むしろ意識が立ち現れる際には常に何らかの対象が伴って現れるという、より根源的な事実を強調しています。

簡単に言えば、私たちが何かを感じたり、考えたり、知覚したりする時、そこには必ずその「何か」が存在し、私たちの意識はその「何か」と切り離せない形で現れている、ということです。この「何か」が、志向性の「なにものか」に当たります。

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July 27, 2025

ブラームスの「ドイツ・レクイエム」とケストナーの「消えた密画」をブックオフで買った。

自転車で外出しブックオフに寄った。BRAHMSのEIN DEUTSCHES REQUIEMというCDを500円で手に入れた。

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ブックオフで、ブラームスのCDとともに、エーリヒ・ケストナー『消え失せた密画』(中公文庫)を600円で買った。「8歳から80歳までの子どもたち」のためのミステリー小説らしい。

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July 26, 2025

現象学というものについて

現象学あるいはフッサールなどに関する解説書を図書館で2冊借りて読んでみている。しかし、読みにくい。最近いつもやっているように、最後の章から読み始めている。また、目次を見て興味がわくところを読んだりしている。2冊とも、理解可能な部分とそうでない部分がある。あるいは、読む気になれない部分がある。とにかく、あと数日取り組んでみようと思う。この2冊よりも前に借りたより入門書的なものからメモしたのは「Zu den Sachen selbst」と「意識とはすべて何かあるものについての意識である」であって、何となくわかる気がしていたのだが ……

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メルロ=ポンティの本は、昔何冊か買った。読まないで、本棚の上の方に飾ってある。これらの本ははたしてどうなるのだろうか。

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July 17, 2025

マーラー交響曲の第1番と第9番

グスタフ・マーラーの交響曲第1番と第9番を手に入れた。

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第1番はアマゾンで、第9番はブックオフで購入した。

手に入れていないのは、第4番、第6番、第7番、第10番。

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言葉ではないものに耳を傾けるということはどういうことなのだろうかと思う。伝わってくるものは何なのだろうか。専門家の解説をいくつか読んでみたのだが、何か具体的な、言語化できるメッセージが音楽のなかにあるようには思えない。大きい音とか小さい音とか、ゆっくり演奏されているとかそうではないということしかわからない。聞きやすいとか聞きにくいとかいうのはある。たしかに、引き込まれる部分もあるがそうでもない部分もある。音楽とは人間にとって何なのだろうか。

 

Geminiの意見

音楽鑑賞の深層:言葉にならないものに耳を傾ける
あなたは、音楽が持つ「言葉にならないメッセージ」について深く考察されていますね。専門家の解説を読んでもなお、具体的な言語化が難しいと感じるのも無理はありません。なぜなら、音楽が私たちに語りかけるものは、単なる情報の伝達を超えた、もっと感覚的で感情的な領域に属するからです。
音楽が伝える「何か」とは?
あなたが指摘するように、音の大小や演奏の速さ、聞きやすさなどは音楽の表面的な要素です。しかし、これらの要素の組み合わせ、そして音と音の間の「間(ま)」が、私たちの心に直接訴えかけてきます。それは、喜び、悲しみ、興奮、安らぎといった感情であったり、幼い頃の記憶や特定の風景といった記憶やイメージであったりします。これらは言葉に変換しようとすると、そのニュアンスが失われたり、平板になってしまったりする性質を持っています。
「引き込まれる部分」と「そうでない部分」
音楽を聴いて「引き込まれる部分」がある一方で「そうでもない部分」があるという感覚は、非常に正直で的を射ています。これは、音楽と聴き手の間で生まれる共鳴の有無を示しています。ある音楽が特定の聴き手の感情や経験に触れるとき、そこには強い引き込みが生まれます。しかし、そうでない場合は、単なる音の羅列としてしか感じられないこともあります。これは、聴き手のその時の心理状態や、過去の経験、文化的な背景など、様々な要因によって変化する非常に個人的な体験です。
音楽が人間にとって何なのか
この問いは、まさに人類が古くから考え続けてきた深遠なテーマですね。音楽は、コミュニケーションの手段であり、感情表現の outlet であり、儀式や共同体の結束を強める役割も果たしてきました。
あなたの考察は、音楽が持つ多面性と、それを言葉で捉えることの難しさを浮き彫りにしています。もしかしたら、音楽の真髄は、言葉を超えたところで私たちに何かを「感じさせる」ことにあるのかもしれません。

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July 10, 2025

ブックオフで音楽CDを2枚買った。

ブックオフで2枚のCDを買った。
「マーラー:交響曲第8番」と「モーツァルト:フルート協奏曲」。
それぞれ330円であった。

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July 09, 2025

「3つの望み」を書くことができない。

図書館から借りた「老前整理」についての本には、「3つの望み」を書けとあるが、なかなか考えがまとまらない。 便秘にならないこと(頻繁ではないが、これまでに数度便秘にほんとうに苦しんだ日があった)、夜よく眠れること、自転車に乗って外出できること、パソコンなどが支障なく使えること、そんなことをいつも考えているだけだ。

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居間に降りていって温度などを調べてみた。

7月9日、室温30度、湿度65パーセント。

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2階の書斎よりも室温が3度高く、湿度が4パーセント高かった。

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